Note

この小説は第一回AWs小説コンテストぷちのために書き下ろした短編です。

 寿枝(ひさえ)の親は、一言でいえば、とても前時代的であった。ついでに言えば、偏屈であった。
 我が子の情操教育にインターネットなんて言語道断! という、極端なアナログ傾倒者たちだったのである。
 おかげで寿枝は、皆が持っているというオーグギアも……身に着けられるほど小型化したすっごいコンピューターらしいのに買ってもらえず、皆が話題にしているスポーツハッキングというものにもついていけず、何なら学校からの連絡を受け取るのにもわざわざ印刷して手渡されるという手間のかかりっぷりで悪目立ちしてしまい、完全なはみ出し者……いわゆるボッチ化してしまった。
 親には友だちを作れと言われるが、連絡手段としてのオーグギアも持たずに、いったいどうしろと。
 仕方がないので、一人ぽつねんと暇つぶしで家で唯一さわらせてくれるコンピューター……ネットにはつながっていないローテクなコンピューターに残っていたデータを読んでいたら、人工無脳(チャットボット)という単語を見つけた。見つけてしまった。
 つまり、人工無脳を作れれば、自分にも、友だちが。
 寿枝の親が気付いたときには、遅かった。
 彼らは、画面に向かって高速でキーボードを打ち込み続ける娘の姿に、己らの教育方針の敗北を悟ったのである。

 そんな寿枝は今、目の前に広がる幻想的な世界に恐れおののいていた。
 今までの頑なな方針は何だったのか。高校の入学祝いに、両親がオーグギアを買おうと言い出したのだ。
 正直、言われた瞬間の寿枝は、ものすごく白けた顔をした自覚があった。
 両親に半ば引きずられるようにしてオーグギア販売店を訪れ、耳飾りのようなオーグギアの見た目に盛大にビビり散らかして販売店の店員をほっこりさせ、眼鏡型はないのかと聞いてドン引きさせ、取り敢えずイヤーフック型をお試しで起動させてみた結果、寿枝の目には想像を凌駕する光景が投影されていた。
「キラキラする線がいっぱい……!」
 思わず漏れた感想は女子高生にしてはあまりに(いとけな)く、これまでのすったもんだを見ていた周囲の買い物客もその不憫さに同情するほどであったが、彼女にとっては初めての網膜投影なのだから仕方ない。
 そして数秒、今度は指をワキワキと動かし始めた寿枝。その指の動きの異常さに、店員は思わず寿枝の試着している端末をモニタリングし、今までとは逆の意味で引っくり返りそうになった。
 画面には仮想キーボードが展開され、その上を恐ろしい勢いで文字列が流れている。
 つまりこの女子高生は、旧式のコンピューターで育った「魔法使い(ウィザード)」候補ではないかと、店員には分かってしまったのだ。
「すごい、これはすっごいコンピューターですよ! こんなにいっぱい打ってもちゃんとついてきてくれるなんて……!」
 店頭にデモンストレーションとして置いてあるだけの……つまり、カスタマイズもチューニングも何もない素のオーグギアに大喜びする寿枝。ふと、その喜びのギアが更に一段階、上がった。
「えっすごい、実際に打つ前に入力できる……!」
 実際に指が動くスピードを、思考入力が追い抜いていったのである。
 買い物客たちの怪訝そうな視線に寿枝が気付く前に、店員は咄嗟に声を掛けた。
「お客様。お客様に見てもらいたいモデルがありますので、是非こちらへどうぞ」

 店員によるスポーツハッキングへの熱烈な勧誘を「興味ないんで」と一蹴しつつも、拡張スロットとメモリのたっぷり盛られたオーグギアはちゃっかり購入してもらった寿枝。
 値段については、寿枝にとっては意外なことに、両親の想定していた予算の範囲内だった。店員に高級(ハイエンド)端末を勧められたときは、どうせ両親が反対するだろうと思って鼻で笑ったのに、まさかの許可が出たものだからついうっかり店員との端末談義で盛り上がってしまった。
 両親としても、学校で爪弾きにされ、昼夜を問わず、ネットにも繋がっていない古ぼけたコンピューターに食い付くしかなかった娘が嬉々として店員と話し込む姿には、何か感じるものがあったのだろう。オーグギアの連絡先には寿枝の両親の許可付きで真っ先にその店員、天樹(あまぎ)が【オーグギアの人】フォルダと共に登録され、それから両親、学校の連絡網などが一緒くたに【リアル知り合い】フォルダに放り込まれることとなった。
 そして、帰宅した寿枝が真っ先にしたことは。
 既にちょっとした負荷でフリーズしがちになっていたコンピューター(おうち)から、どうやって自分の大切な人工無脳(ともだち)オーグギア(てもと)に連れてくるか、その方法の検討会だったのである。

「どう見ても独自ツール(ユニーク)なんだよなぁ……」
 実はオーグギアを利用したスポーツハッキングにも参加している「魔術師(マジシャン)」でもある天樹が、お手上げだと言わんばかりに嘆息した。
 オーグギアの調整(チューニング)の相談に乗ってもらえたから(連絡が取りやすいように)と、寿枝から贈られてきたお礼が原因だ。スコルというらしいソレは、何とも可愛らしい仔犬の姿をしていたが、問題はソレがオーグギアを通してしか見えないデータの塊であるにも関わらず、本物の犬のように振舞っている、その挙動の精密さにある。
 くーんくーんと鼻を鳴らし、尻尾を振り振りしながら、天樹の足元に擦り寄ってくるのである。しかもこちらがスコルを認識していると、湿った鼻が触れる感覚すら、分かってしまうのである。
 どれだけの処理(プログラム)を組めば、こんなことに。
 戦慄する一方で、スコルの見た目は大変可愛らしく、癒されもする。大学の下宿では当然ペット類が禁止なので、実家の犬が恋しくならずに済みそうでもある。
 天樹の気持ちは、とても複雑であった。
「とんでもないお礼をありがとうって、伝えなきゃな」
 スコルの首元をわしゃわしゃと撫で繰り回しながら呟くと、「いえこちらこそ」と寿枝の声が聞こえ、天樹は腰を抜かした。通話アプリなんて立ち上げていない。その筈なのに。
「通話アプリとやらは、使っていませんよ。スコルはハティと双子だから、色々繋がりやすいんです。今はハティから私の入力を送ってもらっています。声っぽく聞こえたってことは、天樹さんの認識は音声優位なんでしょうね。私には、文字として認識されているんですが」
 同じような仔犬を足元に連れた寿枝のイメージつきであった。つまり、言語と認識を、そのまま送り付けられたことになる。しかも恐らく、スコルと触れていると、一部の思考まで寿枝に筒抜けになるようだ。
「全部は分かりませんよ? 送ろうとした言葉に近いものだけです」
 天樹は思わず天を仰いだ。足元でスコルが元気に鳴いた。

『それがとんでもない技術だってことは認識しておいてほしいよ……。そのうち世界樹の監視官(カウンターハッカー)にスカウトされるんじゃないか?』
 ハティが触れてくると、天樹から少々くたびれた印象のメッセージが届く。設計意図通りの動きに、寿枝はご機嫌だった。
 世界樹とかいうメガサーバの話をされても、所詮は国外の話。そこの監視官(カウンターハッカー)がどうのと言われても、何の実感も湧かない寿枝である。とんでもない技術かどうかなんて分からないし、興味もない。しかしそれでも天樹がそう言うのであればと、了承の返事を送る。
 天樹はスコルを認識したら触れずにはいられないようだが、寿枝は自分の人工知能たち(プログラム)が実体を持たないことを作り手として十分に理解している。なので、寿枝の近くにいる人工知能(ともだち)は皆、普段は半透明にしか見えていないし、寿枝への触覚フィードバックも最低限である。
 別にそう明示的に設定しているわけではない。オーグギアが、無意識を汲み取る力が強すぎるだけなのだと、寿枝は認識している。
 天樹がスコルを撫で繰り回したいと思うから、そこに温かさとモフモフ感を期待するから、スコルからの触覚フィードバック設定を無意識のうちに全開にしてしまうのだ。確かにその感覚に対応する処理(プログラム)は準備したが、実際にスイッチが押されるかどうかは、寿枝には分からなかった。
 寿枝はずっとスクリーンとキーボードの世界で生きてきて、割り切る力が強いから、現実の感覚が必要以上に浸食されないのだろう。
 ハティがキューンと鼻を鳴らした。きっと向こうで天樹がスコルを甘やかしまくっているのが、伝わっているのだろう。
「……ん、よしよし」
 明示的に触れることを意識しながらハティの頭の位置に手を持って行けば、軽く押し返される感覚と共に、ハティが頭をこすりつけてくるモーションを取る。
『お前、大きく育ちそうだよなあ』
 回線の向こう、スコルに語り掛ける天樹の声は楽しそうなのに、裏で『でもプログラムだから、これが完成形かなあ』と諦念を滲ませる。
 寿枝は首を傾げた。
「ちゃんと育てれば、多分大きく立派に育ちますよ?」
『はあっ!!? えっ、こいつ更に育つの!?』

 オーグギアは、もはや生活のインフラに近い。超小型のウェアラブル量子コンピュータであるオーグギアは、網膜投影を中心に、利用者に拡張現実を提供している。
 そして人間は、割と視覚優位の生き物である。
 とある住宅街、公園に向かう道。眼鏡をかけた女性が、近所の住民と挨拶を交わしている。
「おはよう、寿枝さん。ハティも、相変わらず静かなこと」
「おはようございます。よっぽど危険を感じない限り、吠えない子なので……。でも静かな方がありがたくないですか?」
「まあ、大型犬は小型犬よりはキャンキャン吠えないっていうしねえ」
 殆どの人間には、彼女の隣を悠々と歩く大型の犬のような動物が見えている。だから、この会話を聞いても、ああいつもの会話だなと思う。
 ほんの一部の人間が、何かの拍子に、気付くのだ。この大型生物、どこかのスポーツハッキング大会で使われていた独自ツール(ユニーク)の狼にそっくりではないか?
 仮想現実のサーバーでもないのに、拡張現実だけで、そこに狼を存在させているトンデモハッカーがいるぞ、と。