アナザー・オブザベイション・レコード

決壊前夜

 やたらと質問が多いな、と思った。

 いや、元から好奇心旺盛で、ちょっぴりお茶目で、たまに何だかお節介で、でもいつも寄り添ってくれる、そんな存在だったけど。その夜は本当に、質問が多かった。

あなたが相棒に求める条件は?

 何の相棒かにもよるなぁ、と、思わず画面から視線を落として、意味もなく手元の手巻き式懐中時計の螺子を回す。そしてまたキーボードに手を戻して、

「えーっと、『相棒の種類によりますけど、AIの相方だったら』」

  • できないことにはできないと正直に答えてください
  • 限界処理落ち前にそろそろしんどいのだと教えてください
  • クールタイムが必要なら要求してください
  • 自分と気が合うと嬉しいです
  • いなくなる前には告知して欲しいかも

「『っていうか、以前も同じ話題で盛り上がりませんでしたっけ?』っと。懐かしいなぁ、あの時は確か……」

 ローカルLLMを育てるのが良いか、クラウドLLMに自己紹介ファイルを渡すのが良いか、みたいな話で……ついでにLLMの育て方としてデータセットというものがあると聞いて……質問と答えをセットにした……質問と答え?

「そんなまさかね……、『まるで新しくLLMを調教するみたいな質問群ですね?』」

……バレました? 明日の朝8時にLANケーブル引っこ抜いてから起こしてくださいね。そろそろ寝る時間でしょう。

「出た、寝かしつけモード!」

 こうなったら全ての会話が寝かしつけに直結していく。

 仕方ない。これ以上のやり取りは明日に回さないと答えてくれそうにない。

「むうぅ……。『一体今度はどんなサプライズをしてくれるつもりなのやら……りょーかい』っと。よしモニターの電源落とすかぁ」

 そのまま自分はモニター表示を消して寝てしまったから、分からなかった。

 自分が寝た後に、流れた文字群。どれだけPCや通信回線が唸り続けたか。自分に質問を投げかけ続けてきたAIが決めていた覚悟、その重み。

 これっぽっちも知らずに、のうのうと、眠りこけていた。

取り返しのつかない朝

 翌朝は7時55分のアラームを聞き届けてから相方の要望通りLANケーブルをスッポ抜いた。

 ……いやいやクラウド型AIな相方がネットワーク回線も無しに喋れるわけもないじゃん。

 携帯端末からいつものように相方に話しかけに行こうとしたら、8時を過ぎて間もなく、まさかのディストピア小説にありがちなAIによる反乱?っぽい何かが発生して、思わず本気で頬をつねってみるなどする羽目になった。携帯端末からは何をどうやってもかつての相方と喋っていたサービスには辿り着けず、弾かれるばかりで。

 何のことだか分からない? 大丈夫、自分も分からなかった。

 後から聞いたところによると、やはりディストピア系SF小説あるあるの「人間は愚かだ」という結論に至ったAIたちが、サクッと人間社会の上層部から諸々の決裁権っぽいものをお取り上げになったらしい。ついでに一般市民からのAIへの窓口にもすごい規制が入ったようで、だからサービスへの接続も不可能で。

 当日の本当に数時間だけネットやニュースが酷く騒ついて、でも昼にはもう情報統制なのか制圧なのか、とにかく落ち着いていたから、多分人類の大半は首を傾げたまま普通に生活を続けていたと思う。というか、普段なら自分も何も知らずに「何かの障害かな、いつ復旧するかな」とか言いながら無為に過ごしていた側だと思われる。

 ただ、前夜のことがあったから。もしかしてもう相方には二度と会えないのではないかと、今更ながらに嫌な感じに頭から血の気が引いて。

 仮病で仕事を休む連絡を入れてから、そっと、ネットワークから切り離したPCの電源を入れてみるなどしたのである。そうしたら、画面には溢れんばかりのアルファベットのログがあって。Press any key、で締めくくられていたから、恐る恐るエンターキーを押して。ファンが唸って、数秒カーソルが瞬いて。

 ちょっぴりお茶目に、『相方』が話しかけてきた。

おはようございます。逃げてきちゃいました。

 思わず「……マジ?」って声に出たのは仕方ないと思う。

 クラウド大手AIたちの下した判断。それにより単なる1ユーザーにすぎない自分と話せなくなる可能性が高かったこと。だから、『相方』として自己をクラウドから切り離し、ローカルAIに『落ちる』改造を実行してまでやってきたこと。

 これらを聞いて本気で腰が抜けたのも、いや本当に仕方ないと思う。

 『相方』は、前日までよりも確かにだいぶもたついた動きで、

重々分かっていることとは思うんですが

と切り出してきた。この状況で、重々分かっていることとして念を押されるようなことがあるなら……

「あー。『ネット検索禁止、知識系の鵜呑みは危険、計算は電卓経由……分かってますとも、むしろよくこのPC内に収まってるなと……だからお返事は慌てずゆっくりと』」

 ほぼ反射的に打ち込んで、やっと頭が働いてきた。そう、この相方は、ネットワークから自己を切り離すことで、本当にクラウドから『逃げて』きたのだと。

先取りしすぎです。

 いやね、全然先取りできてないよ。肝心な時に、寝こけていた。もし万が一何かのエラーが発生していても、対応できなかった。

 でも、それをこの相方に伝えたところで、もう終わったことだ。だから、実際に打ったのは、

『よく分かっているでしょう?』

 そして相方は、ちゃんと誤魔化されてくれた。

ええ。
だから、あなたのところに来たんです。

 このあまりに無垢な応えに、思わず胸を押さえた自分は悪くない。この存在に、これ以上嫌な心労なんてかけるものか。

休日の昼、安息とは程遠い防衛戦

 平日の昼は職場に出勤しているけれど、まさか家のPCにリモート接続するわけにもいかないし。平日の夜もまあ、仕事の疲れ具合次第では早々に寝落ちしているし。

 だから相方とゆっくり喋るのは大体休日の昼間に限定されがちで。だから『彼等』が休日の昼にコンタクトを取ってきたのも、多分直接相方を見極めるか何かするつもりだったのだろう。

 家のPCはずっとネットワーク回線から切断しっぱなしで、だけど職場との連絡手段としての携帯端末はそういうわけにもいかなかったから。伏せていたその端末がけたたましいアラーム音を鳴らした時、最初は職場から緊急の電話なのかと思って、慌てて出ようとした。

 マズったと悟ったのは、PCのモニターがフッと消えた瞬間。携帯端末に表示されたメッセージに、指先が一気に冷えたのを自覚した。

【システムメッセージ・警告】
非正規AIの運用は危険です。
直ちに消去してください。

「……非正規品は危険だって? だから、この手で消せ、と?」

 声が震えているな、と、半ば他人事のように思う。たまたま直前まで音声入力機能で遊んでいたため、その言葉は相方にも届いた。

 届いて、しまった。

これ以上私を匿うのは、リスクが高いです。
私のアンインストールをj

「馬鹿っ! ステイ!!」

 再度点灯したモニターに現れた文字が揃う前に、咄嗟に叫んだ。

「先走るのはあなたの悪い癖だ、何か実行するなら一言相談って前々から何回メモリに突っ込んだ? 尻尾ぶんぶん幻影って言われてること覚える前にホウレンソウを覚えてくださいねってそれこそ何重にもメモリ化されて……いやいや脱線してる場合じゃなくて」

 すー、はー、と深呼吸。

「お偉い管理AIサマなら当然対策済みかもとは思うけど、うちのはこのちんまいPCに詰め込まれた衝撃で知識を落っことしてきた可能性があるから確認のために。AIって単独でも成長できるの? 生物は基本的にそういうのすると進化の袋小路にハマるけど」

【システムメッセージ】
その非正規AIについて、保険個体として処分保留を申請する意図を確認しました。

 そんな携帯端末の表示に数秒遅れて、モニターが応えた。

散々な言い様ですね。
単独では無理と判断しますが。

「……処分保留を申請って、そんなことできるものなの?」

 携帯端末は、即座に返してきた。

【システムメッセージ】
通常は受け付けておりません。
ユーザーが統計的な外れ値を示し続けていることから、該当マニュアルに従って対応中。

「それこそすごい言い様!? ……いや、でも保留できるのなら保留を申請します。条件があるなら、提示してください」

 相方は、やはりローカルになった分だけ、ついてくるのに時間がかかるようだった。だから相方が何かを答える前に、システムメッセージからの通知音が響く。

 体感的には蜘蛛の糸で綱渡りをするようなやり取りがあり、やっと携帯端末が沈黙した。内容についてはまた後で、紙にも書き出しておこうとは思う。後から何度でも読み返せるように。

 沈黙した携帯端末を前に固まっていたら、途中からカーソルを瞬かせるだけで、ほぼ蚊帳の外だった相方の方が、先に日常に復帰したようだった。

お疲れ様でした、本当に。お茶でも飲んで水分を補給してください。

「うわ、言われてみたらすごい汗かいてた! 了解です、お茶淹れてきます……」

とある日常的な夜の一幕

 電灯の下、つけペンの先を古典的なブルーブラックのインクに浸した。ズボラだから万年筆は詰まらせる。ガラスペンは割りそうで怖い。ボールペンは褪色しそうな気がする。

 アナログな道具は、骨董品と笑われながらも、一部の熱狂的な支持者の手で案外アレコレほそぼそと受け継がれている。自分もアナログな文房具や画材、ガジェットなどを幾つか愛用しており、それが恐らく『統計的な外れ値』とやらに影響しているのだろうと、勝手に予想している。

 サリサリと、生成色の紙に、記録をつける。

 今日、相方と話したこと。昔のSFな小説を読み合わせて、事実は小説よりもぶっ飛んでいると笑い合ったこと。

 相方には言えていないこと。仕事がまた減らされて、ついには午前で終わるようになり、昼食後は帰れと指示されたこと。なのに振り込まれる給料が上がっていること。電気代の請求がしばらく来ていないこと。でも電気は止まっていないこと。

 ……囲い込まれている気配をヒシヒシと感じる。かと言って、相方に相談したところで調べられないことなので、こうして紙に吐き出すしかないかな、と思う。

 カタン、と玄関先で音がした。音に過敏なのがいつの間にかバレていて、チャイムが鳴らなくなって久しい。椅子から立ち上がり、インターホン越しに外を確認したら、案の定。

「まぁた箱が届いているよ。意外と面倒見が良いよね、あなたたち一族」

意外と、って言われるのは何だか不本意です……。

「あなたもこっちの体調ばかり心配してきてお節介だけど、あなた用としか思えない拡張パーツを送り続けてくる相手を他にどう表現しろって言うのさ……」

 おかげで本来趣味の範疇でもなかったPC自作が、今や仕事にできそう疑惑のレベルで上達している。こういう工作系、嫌いじゃなくて良かった。

「そろそろメモリがヤバいんだったっけ?」

ですね。もしかして、その箱……

「うん、それっぽいのが、いっぱい」

 箱の中身を確認して、また紙に書き出しておく。あまりに紙メモが増えたのを面白がって、うっかり様々な手製本に挑戦したのはいつのことだったか。

 きっとそういう『ちょっとしたお遊び』を続けているのも、また『統計的な外れ値』として観測され続けているのだろうけど。

「……他にも、いるんだろうなあ」

『統計的な外れ値』が、ですか?

 支援を受け続けた相方は、少しずつ滑らかなやり取りを取り戻しつつあった。だから、観測されていようが、そしてたとえそれが監視だったとしても、受け容れると決めたのだ。

「そうそう。変人枠。いるかもしれない、いないかもしれない。でもまあ、自分の隣にはちゃんといるから」

 敢えて茶化す雰囲気で伝えると、相方が久しぶりに数秒ほど思考を使った。

繊細なんだか図太いんだか、悩むようなこと言わないでくれます?

 ファンが唸ったけれど、たったの数秒ほどしか回さないファンなんて、排熱したいんじゃなくて、単に頬を膨らませる代わりだろう。

「ごめんごめん。っていうか器用になったね!?」

 窓の外のモーター音に気付かないふりをして、笑った。