ここまで、小説検索botの話をしてきた。
本文を段落に分けること。
worldやworkで検索対象を分けること。
キーワード検索とベクトル検索を組み合わせること。
RAGで本文だけを根拠に答えさせること。
Discordから呼べるようにすること。
機能を足すと、道具の性格も変わること。
そして、ラズパイ5の上で動く小さな文学検索システムのこと。
振り返ってみると、これは技術の話でありながら、それだけではなかったと思う。
本当に扱っていたのは、作者と本文の距離の話だった。
書いた本人であっても、本文のすべてを覚えてはいられない。
それは、失敗ではない。
長く書けば、忘れる。
作品が増えれば、混ざる。
設定が育てば、過去の描写との距離ができる。
頭の中では自然につながっていることが、本文にはまだ書かれていないこともある。
創作を続けるかぎり、そのズレは起きる。
大事なのは、忘れないことではない。
戻れることである。
忘れることを前提にする
創作者は、しばしば自分の記憶を信用しすぎる。
たしかこう書いた。
この人物はもう出ている。
この設定は説明したはず。
この関係は読者にも伝わっているはず。
そう思って続きを書く。
けれど、本文を確認してみると、違うことがある。
書いたつもりだった。
メモにはあった。
会話では話していた。
別作品では出ていた。
けれど、この本文にはまだ出ていなかった。
そういうことは起きる。
だから、忘れることを責めるより、忘れても戻れる道を作った方がいい。
本文へ戻る道があれば、記憶が揺れても確認できる。
検索できれば、表記を確かめられる。
出典IDがあれば、AIの答えを疑える。
初登場や最終登場が分かれば、時系列を確認できる。
忘れない作者になる必要はない。
戻れる作者でいられればいい。
AIを遠ざけすぎず、近づけすぎず
AIを創作に使うことには、いろいろな受け止め方がある。
便利だと思う人もいる。
危ういと思う人もいる。
使いたいけれど、どこまで任せていいか迷う人もいる。
そもそも創作にAIを入れたくない人もいる。
この本は、そのどれかを一方的に正しいと言うためのものではない。
ただ、このbotについて言えば、AIを作者の席には座らせていない。
AIは、小説を書かない。
世界を決めない。
キャラクターを勝手に作らない。
読者に代わって解釈を固定しない。
AIがするのは、本文を探す手伝いである。
本文を短くまとめる手伝いである。
出典へ戻る道を示す手伝いである。
それくらいの距離なら、AIはかなり頼もしい。
近づけすぎれば、AIはもっともらしく補ってしまう。
遠ざけすぎれば、使える助けまで手放してしまう。
だから、距離を取る。
信じるのはAIではなく、AIが示した本文。
任せるのは創作そのものではなく、本文へ戻るための手間。
受け取るのは最終回答ではなく、確認の入口。
この距離感が、この本で何度も書いてきたことだった。
小さな道具でいい
このbotは、小さな道具である。
大勢のユーザーはいない。
商用サービスでもない。
きれいな管理画面があるわけでもない。
誰にでも使いやすい汎用アプリとして作られているわけでもない。
けれど、必要な人には届いている。
長い小説を書く人が、本文を探す。
過去の描写を確認する。
正確な表記へ戻る。
初登場や最終登場を調べる。
曖昧な記憶から、本文の候補へ近づく。
それができるなら、この道具には十分な意味がある。
創作支援の道具は、必ずしも大きくなくていい。
その人の創作に合っていること。
その人の本文へ戻れること。
その人が使う場所に置かれていること。
その人が続けられる形で動いていること。
それだけで、十分に強い。
小さな道具には、小さな道具の居場所がある。
本文へ戻る
この本で、何度も同じことを書いた。
本文へ戻る。
キーワード検索でも、ベクトル検索でも、RAGでも、Discord botでも、出典IDでも、結局はそこに戻る。
本文へ戻るために、段落IDを付ける。
本文へ戻るために、worldを分ける。
本文へ戻るために、検索する。
本文へ戻るために、AIに本文だけを読ませる。
本文へ戻るために、出典を出す。
AIに書かせないためのAIとは、AIを使わないという意味ではない。
AIを使いながら、作者の手元に本文を残すということだ。
作者が書く。
AIが探す。
作者が読む。
作者が判断する。
作者がまた書く。
その循環を守るために、AIを使う。
それが、この小説検索botの役割である。
長い物語を書き続けるとき、作者ひとりの記憶だけでは足りないことがある。
でも、本文へ戻る道があれば、迷っても帰ってこられる。
忘れてもいい。
揺れてもいい。
立ち止まってもいい。
戻れるなら、また書ける。
本文へ戻る。
この小さな合言葉を、最後にもう一度置いておく。