防音と物理障壁(シールド)に守られた冒険者協会の最奥(さいおう)、臨時役員会議室。そこには、現世の論理(ろんり)で異界を(さば)こうとする大人たちの、冷え切った沈黙(ちんもく)が支配していた。
 深山(みやま)智樹(ともき)が退室した後、長テーブルの端に座る高峰(たかみね)篤司(あつし)は、三白眼に宿る(するど)い光を(かく)そうともせず、居並ぶ役員たちを射抜いた。その手元には、智樹(ともき)命懸(いのちが)けで持ち帰った、操作画面のひび割れたボロボロのドローンが置かれている。
「……信じがたい。身寄(みよ)りのない新人を(ねら)った常習的(じょうしゅうてき)な犯行。これが我々(われわれ)の管理下で行われていたとは、組織の面目(めんぼく)丸潰(まるつぶ)れだ」
 一人の役員が、再生された冒険者たちの犯行映像を前に、苦々(にがにが)しく()()てた。
 一方で、別の役員は冷徹(れいてつ)眼差(まなざ)しを智樹(ともき)の個人データへと向け、(つくえ)を指先で(たた)く。
「問題は、あの少年——深山(みやま)智樹(ともき)の『状態』だ。記録によれば、彼は致命傷(ちめいしょう)を負い、屍蔓(しかずら)に寄生された。本来なら、その時点で死亡、あるいは魔物として駆除(くじょ)の対象とするのが通例(つうれい)だが……」
駆除(くじょ)? 本気で言っているのか」
 篤司(あつし)が、三白眼を(するど)く細めて口を(はさ)んだ。
「配信を見たか? すでに世論は、彼を『悲劇(ひげき)の被害者』として神格化し始めている。配信に流れた、あの植物が少年を(なぐさ)める映像……あれ一つで、屍蔓(しかずら)凶悪(きょうあく)なイメージは瓦解(がかい)した。今ここで彼を処分すれば、協会は『無実の被害者を殺害した隠蔽(いんぺい)組織』として永遠にネットの(さら)し者になるぞ」
高峰(たかみね)君、感情的になるな。我々は安全性を議論(ぎろん)しているのだ」
「安全性なら、俺が保証(ほしょう)する。あの個体は『癒蔓(いやしかずら)』だ」
 篤司(あつし)(つくえ)(たた)きつけたのは、自らのドローンが記録した、(いおり)の入り口での記録映像だった。
智樹(ともき)が解読した通り、あれは本来、人を()やすための共生種だ。暴走の危険がないとは言わんが、現状、彼は完全にユキ――あの植物と意思疎通(いしそつう)ができている。そして何より、彼はあの森の『主』に等しい」
 その衝撃(しょうげき)が、隣に置かれていた智樹(ともき)のドローンの、今にも途切(とぎ)れそうな回路に最後の火を(とも)した。
「……ッ、何だ、これは」
 ひび割れたレンズから、(まばゆ)い光が(あふ)れ出す。それは、(かべ)一面をスクリーンに変え、智樹(ともき)が森で過ごした「空白の期間」を(すさ)まじい速度のタイムラプスとして投影(とうえい)し始めた。
 役員たちの目が釘付(くぎづ)けになる。
 そこには、雪の上で血を流す少年の傷口に、斑入(ふい)りの(つた)が肉を割り進んで「改造」を(ほどこ)す、生々しくも神秘的な光景があった。自分の体から生える異形に絶叫し、喉を()きむしり、排泄(はいせつ)機能すら失った自分に絶望しながらも、生きるために水を(むさぼ)る少年の、あまりに泥臭(どろくさ)い生存への執着(しゅうちゃく)
 さらに映像は加速し、彼が「被害者」から「適応者」へと変貌(へんぼう)する(さま)を映し出す。
 肺の機能を(つた)に代行させ、息一つ(みだ)さず断崖(だんがい)を駆ける脚力(きゃくりょく)。地面に下ろした根から数百メートル先の振動(しんどう)を感知し、音もなく獲物(えもの)仕留(しと)めるその洗練(せんれん)された動き。それはもはや、ただの寄生被害者ではない。異界の生態系(せいたいけい)そのものを味方につけた、新しい「森の主」の誕生(たんじょう)だった。
 最後に、泣きじゃくる智樹(ともき)(ほお)を、不器用な(つた)(やさ)しく()でるシーンで光は消えた。
 重苦しい沈黙が会議室を包む。一人の役員が、(ふる)える手で眼鏡(めがね)(ぬぐ)い、ぽつりと()らした。
「……我々は、彼を怪物(かいぶつ)だと思っていた。だが、あのドローンに記録されていたのは、怪物(かいぶつ)誕生(たんじょう)ではない。一人の少年が、異形(いぎょう)の力を借りてまで『生きて帰る』ことを選んだ、あまりに(みにく)く、そして美しい生存の記録だった」
 その言葉が、その場の空気を決定づけた。けれどそれだけで全てが動くとも篤司(あつし)は思っていなかったので、今見たものへの衝撃(しょうげき)を何とか(おさ)え込み、心を(おに)にして、再度念を()した。
「今ここでせっかく悲劇(ひげき)から生還(せいかん)した森の主を無駄(むだ)に散らすか?」
「主……。つまり、彼を管理下に置けば、あの『屍蔓(しかずら)の森』の資源(しげん)を独占できるということか?」
「その通りだ。希少薬草の採取、迷子の救助、異界の安定。彼を職員として、あるいは専属冒険者として囲い込むメリットは計り知れない。殺すには、あまりにも()しい資産だ」
 篤司(あつし)の言葉は、冷徹(れいてつ)な計算に(もと)づいたものだった。そうしなければ、この(たぬき)たちの首を(たて)()らせることはできないと分かっていたからだ。
 各々の内心はどうあれ、「殺処分(さつしょぶん)」という選択肢(せんたくし)は、最早(もはや)この部屋のどこにも存在しなかった。彼を殺すことは、人類にとって未知の可能性と、圧倒的(あっとうてき)実利(じつり)——希少薬草の採取や、誰も踏破(とうは)できなかった異界奥深くへの「(かぎ)」を(みずか)放棄(ほうき)し、世間からのバッシングに(さら)されることを意味していたからだ。
「……よかろう。深山(みやま)智樹(ともき)を、冒険者協会による『公的保護観察対象(こうてきほごかんさつたいしょう)』とする」
 中央に座る理事(りじ)が、最終的な決断を(くだ)した。「監視(かんし)と記録の継続(けいぞく)。そして、対外的なイメージ戦略(せんりゃく)(かなめ)とする。高峰(たかみね)、お前が社会的後見人と保護観察担当(ほごかんさつたんとう)兼任(けんにん)しろ。異論(いろん)はないな?」
「了解。責任を持って、俺が面倒(めんどう)を見ます」
 篤司(あつし)は短く(こた)え、立ち上がった。その背中には、組織の論理(ろんり)から智樹(ともき)を守り抜いた安堵(あんど)と、これから彼という「異形(いぎょう)」を背負い続けていく覚悟が、静かに、けれど確かに刻まれていた。

癒蔓の子・番外編:澱の記録(高峰篤司の観測日誌)