篤司に付き添われ、智樹が再び「庵」の前へと戻ってきたとき、そこには異様な光景が広がっていた。
あの日、智樹を背後から刺した案内役の冒険者たちは、篤司のパーティメンバーによって無残に雪の上にねじ伏せられ、魔法の拘束具で縛り上げられていた。
「……っ」
彼らの姿を見た智樹の身体が、一瞬強張る。それに呼応するように、左腕のユキが棘を逆立てるような鋭い動きを見せたが、智樹がそっと右手で蔦を撫でると、すぐにその殺気は霧散した。
「す、素晴らしい! これは世紀の発見だ!」
そんな緊迫した空気などお構いなしに、学者のドローンが智樹とユキの周りを熱心に旋回している。彼は自身の配信チャンネルに向け、上ずった声で実況を続けていた。
「皆さん見ましたか!? この少年に取り憑いている——いえ、共生している植物の挙動を! これは既存の『屍蔓』の概念を根本から覆す発見です!」
その学者は智樹ですら見覚えのある、テンションの高い解説で有名な配信者であり、智樹は先程とは別の意味で固まることになった。
配信、されている。自分が。有名配信者の画面で。
今更ながらに、己の姿が気になってくる。事情だらけだとは言え、ボロボロの服で、ドロドロの状態で——穴に埋まりたいとはこのことか。
哀れな少年が顔を真っ赤にし、焦って身体に蔦を巻きつけ直す様子に、篤司は己の不手際を悟った。そっと智樹と学者のドローンの間に割って入り、パーティメンバーが荷物から出してきた毛布を差し出すと、彼はキョトンとした表情で篤司を見た。
毛布の意味が、分かっていない。
改めて毛布を広げ、肩近くに掛けてやる。本当は直接肩に掛けてやりたかったが、蔦が多くて難しかった。智樹はやっと理解したようで、屍蔓を気遣いながらも、肩に掛けられた毛布を内側に引き込んで体裁を整えた。屍蔓の動きを優先して毛布を纏う様子に、彼らの関係性が透けて見える。
その間に学者は庵の入り口、石造りの門柱に刻まれた古い文字に駆け寄っていた。
それは風化し、崩れた筆致で書かれており、遺跡専門家である学者でも読解するには少し時間がかかりそうな代物だ。
「これが読めたら入り口が開きそうですね!! うーん、何でしょうか! おーい、高峰君! 君なら何か分かりますか?」
「いやそれはどんな無茶振りだ」
ちょうど自分のドローンを操作していた——今更ながら配信を切っていた篤司は、いきなり声を掛けられて、呆れたように首を振った。だが、智樹は違った。
ユキの根が智樹の神経の奥深くに潜り込み、屍蔓の中に眠る古い、懐かしい記憶を呼び覚ましていた。
「……いやし、……か、ずら……」
智樹の唇から、掠れた声が漏れる。
「『癒蔓の家』。……そう、書いてあります」
その瞬間、庵が淡く輝き、学者が息を呑み、世界中にその言葉が中継された。
屍蔓ではなく、癒蔓。あまりにも似て非なる名前。
それぞれがその言葉の意味を吟味して黙り込んだ刹那、古からの術式に従った庵の扉が、吸い込まれるように音もなく開いた。
学者が、「歴史の転換点だ!」と叫びながら飛び込もうとするのを、篤司が襟首を掴んで制する。
「先に行かせてやれ。ここはお前らの領分じゃない」
篤司の言葉に学者はとても不満げな顔をしたが、智樹を包むユキの斑入りの葉が期待に震えるように細かく波打つのを見て、大人しく引き下がった。
智樹が、身に纏った毛布をぎゅっと握りしめて、一歩踏み出す。
外見からは想像もつかないほど広大な、静謐な空間がそこには広がっていた。
――異空間拡張。この異界そのものにも使われている技術。
かつて、ここに住んでいた主の生活の跡が、時を止めたかのように残されている。磨き上げられた木の床、並べられた薬草の瓶、そして壁際に整然と積まれた書物。
(……なつかしい、……あったかい……)
ユキの懐かしむような思念が智樹に流れ込み、視界がじんわりと熱くなる。ユキは智樹を促すように特定の方向へと蔦を伸ばした。
背後では学者が興奮して書物を手に取り、己のドローンに向かって早口で何事かを捲し立てていたが、智樹はそれには構わず、ユキの伸びる方へ足を進める。
智樹の様子に気付いた篤司が、パーティメンバーと目配せを交わした。篤司が一人、智樹の傍へ。残りで、学者の方を。
やがて現れたのは本棚の裏側にひっそりと隠された通路。ユキの導きに従い、智樹がその奥へ進むと、篤司もまた静かに後に続いた。
隠し部屋の最奥、机の上に一冊の古い書簡が置かれていた。
智樹が震える指でその魔術的な書物へ触れた瞬間、部屋全体に柔らかな光が溢れ、かつての光景が追憶となって展開された。
それは、一人の陰陽師の記憶だった。
彼は愛する者を守りたくて、傷を癒やすための「癒蔓」を作り出そうとした。
しかし、その慈愛の力は時の武士たちによって「死なない兵器」として利用され、陰陽師の隙をついて連れ去られた幼い癒蔓たちは、何も学ぶ前に、戦地へと駆り出された。
戦地では、攻撃こそが最大の防御であった。だから、無垢な癒蔓たちは、力加減も学べず、攻撃することをも刷り込まれる。
癒やさなければならない。それが、一番大事。
でも、どうしても敵対するなら、攻撃してくるなら、攻撃しなければ。
恐怖し、抵抗する宿主に対して、これらの癒蔓の本能が暴走し、凄惨な悲劇を生んでしまった。
怖がって逃げようとする宿主を、力加減ができずに締め殺してしまう。攻撃の意思を持つ相手に対して、宿主の死体を使ってでも反撃してしまう。
濡れ衣を着せられ、化け物だと蔑まれた彼らに下された処分命令。
どうしても従えなかった陰陽師は、自らの全てと引き換えに、この異界を――
『いつか、怖がらずに受け入れてくれる者が現れることを願って』
陰陽師の最期の願いが、智樹とユキの魂に直接流れ込む。
数百年もの間この孤独な森で誤解され続け、それでもただ誰かを助けたいと願っていたユキ。
そして、人間に裏切られ、居場所を失い、異形として生きていくしかなかった智樹。
「……っ、……ぅ、ぁ……」
智樹の目から、大粒の涙が零れた。
ユキの蔦が、あの日智樹に教わった通りに、泣きじゃくる彼の頬を優しく、何度も何度も撫でる。
そして、ユキもまた、智樹の胸元で白い光を明滅させながら、本体を震わせていた。涙は流せないけれど、泣いている――そう、智樹には感じられた。
だから、智樹も震える手でユキを撫でた。何度も、何度も。
篤司は、その光景をただ黙って見守っていた。「人間」と「癒蔓」が心を通わせ、共に泣いている。それを邪魔するような無粋さは、持ち合わせていない。
やがて隠し部屋を包んでいた柔らかな光がゆっくりと収束し、静寂が戻った。智樹とユキは、互いの存在を確かめ合うように寄り添ったまま、溢れ出た感情の余韻に浸っていた。
鼻を啜った智樹はふと部屋を見回して――今までずっと静かに見守っていた篤司の存在に、気付いた。
「……屍蔓じゃ、なかった」
その言葉に、篤司は頷いた。
「そうだな。後半だけ残って、歪んで、当て字されたんだろう。どうする? 学者の先生にも見てもらうか?」
智樹は考え込んだ。あのハイテンションな学者には正直なところ直接話しかけたくない、というか上手くやり取りできる自信が欠片もないのだが、癒蔓の真実についてどう思うか、聞いてみたい気持ちもある。
「……ん……」
消極的賛成を示す小声の返事。
「分かった、なら一旦戻ろう。学者の先生が苦手なら、無理に相手しなくて良いぞ。この部屋への道は覚えたから、案内は俺だけでもできる」
「お願い、します」
篤司の穏やかな声に勇気をもらい、智樹は頷いた。
隠し部屋を出て表に戻ると、そこでは学者が興奮冷めやらぬ様子で、数多の資料を前にドローンへ解説を続けていた。智樹とユキの姿を認めると、彼は再び駆け寄ってきたが、智樹は先ほどのやり取りに甘えて、篤司の背後に隠れさせてもらった。
「向こうの本棚の裏に、追憶の術がかかった隠し部屋があったぞ」
篤司からの衝撃的な報告に、学者がますます舞い上がったのは、言うまでもない。
あまりに狂喜乱舞する様子が怖くて、怯えた智樹が隠し部屋の中までついて入るのをやめたくらいだ。
「先に戻るか」
同じく部屋の入り口で立ち止まっていた篤司の声にも、少し疲れがにじんでいる。智樹は一も二もなく、頷いた。