モニターの光だけが部屋を照らしていた。
 深夜の静けさに、キーボードを叩く音がやけに大きく響く。
 脇に放り出したバッグの中には、畳んだ着替えがまだ入ったままだ。

 ——結局、渡せなかった。
 昼間、詩織の病院にそれを持って行ったけれど、受付で冷たく遮られた。
「ご家族様以外にはお預かりできません」
 繰り返される言葉は、電話の時と同じだった。
 せめて替えの衣服を、と差し出した手は、透明な壁に弾かれたみたいに拒絶されるだけ。

 あのとき思った。
 もし、あの時——結婚を受け入れていれば。
 「同居人」ではなく「家族」だと証明できていたなら、面会できていたのでは、と。もし面会謝絶だったとしても、その理由くらいは聞けたかもしれないのに、と。

 カーソルが瞬いている。
 「花吐き病」と打ち込んで検索をかけても、以前なら幾らでも出てきた噂話や考察スレはほとんど消えていた。数ヶ月前はあったまとめサイトはリンク切れ、掲示板の過去ログも「存在しません」と表示される。
 残っているのは、それこそ十数年前の創作作品群——求めているものとは、程遠い。

 ——あんなに流行っていたのに、どうして。

 苛立ちを抑えきれずに別の裏掲示板に潜ってみる。断片的な書き込みに「研究所」「遺伝子操作」「リーク」という文字がかすかに混ざっていた。
 ページをスクロールした、その瞬間だった。

 スレッドが、消えた。
 さっきまで文字で埋まっていた画面が真っ白になり、数秒だけ赤い警告文がちらついた。

 ——不正アクセスを検知しました——

 すぐにトップページへ強制的に飛ばされる。
 キャッシュも履歴も残っていない。痕跡ごと、最初からなかったことにされていた。

 背筋に冷たいものが走った。
 これは偶然じゃない。誰かが、意図的に消している。
 組織ぐるみで、花吐き病の情報を。

 再びキーボードに震える指を乗せる。
 胸の奥で、後悔と怒りがないまぜになって、火をつけられたみたいに熱を帯びた。
 絶対に、掘り返してやる。
 たとえどんな壁に遮られても。

第七章 選ばれし者(詩織)