不規則なアラーム音で目が覚めた。
 病室の闇に、赤いモニターの数字が点滅している。
 隣のベッドで、詩織が苦しげに胸を上下させていた。

 詩織の同僚らしきスタッフの影が慌ただしく動き、酸素の濃度を上げている。
 でも数値は戻らない。
「……肺がもう吸収できていないからだな」
 低い声が聞こえた。その声は電気を点けることを提案していたけれど、詩織は首を横に振った。
 
 胸の奥に冷たいものが走った。
 ——光が足りないから。
 詩織はそれを分かっていて、言えないだけだ。

 スタッフが去った後もモニターの音は鳴り響き、こちらの鼓動まで乱していく。
 このまま朝を迎えるなんて、もう無理だ。
 彼女の吐息が荒れ、手探りで伸ばされた指先が空を切る。

 あたしは自分のベッドから飛び出して、その手を掴んだ。温かさが、じんと伝わる。
 ——もし、足りないなら。あたしが、補えばいい。

 頭のどこかが「危険だ」と叫んでいるのに、体はもう動き出していた。
 無我夢中で、彼女の呼吸に自分の呼吸を合わせる。走るアラームの音が、あたしの心臓のリズムに重なっていく。アラームのリズムは少し落ち着いて、その分あたしの鼓動が乱れた。
 気付けば、詩織の呼吸は落ち着いていた。けれどその代わりに、あたしの胸の奥がじりじりと熱を帯び、息が浅い。
 自分の肺に残っていた分を渡してしまったのだと、直感で分かった。

 夜が明ける頃、あたしはベッドの縁に突っ伏したまま、荒い息を整えていた。
 視界の端で、詩織が静かに眠っている。
 ——苦しくても、彼女が夜を越えられたなら、それでいい。
 そう思うと、胸の痛みさえ不思議と甘く感じられた。

 それでも、このままでは続かない。
 あたしが酸欠で倒れたら、他の誰も詩織を支えることはできない。

 昼、窓から差し込む光を浴びながら、あたしは考えた。
 ——夜に足りないなら、昼のうちに蓄えておけばいい。
 詩織がそうしているように、あたしの体だって光合成はできるはずだ。

 そう念じたとき、頭皮に微かなざわめきが走った。
 窓の反射で確認すると、髪が一房、黒から深い緑に色を変えている。
 陽を受けたその髪は透けるように光り、胸の奥にひんやりと澄んだ酸素が流れ込んでくる。
 息が深くなる。体の隅々まで酸素が巡る。そして、何処かに「蓄えている」実感があった。
 ——これなら、夜を支えられる。ふたりでなら。

 次の夜も、アラームは鳴った。やっぱり、詩織だけでは、夜がしんどい。
 彼女の手を握ると、指先から脈が伝わってきた。
 最初は不揃いだった拍動が、しだいに自分の心臓と重なっていく。
 鼓動が二つで一つになり、胸の内側で共鳴していた。

 彼女が息を吸うたび、あたしの胸もふくらむ。
 あたしが吐くたび、彼女の肩の力が抜けていく。
 まるでひとつの大きな肺を、ふたりで使っているみたいだった。

 モニターのアラームは、いつの間にか鳴りやんでいた。
 代わりに響くのは、あたしたちの鼓動だけ。
 その律動は、夜の闇の中で新しい音楽みたいに続いていた。

「……聞こえる?」
 問いかけると、詩織は目を閉じたまま、小さく頷いた。
「うん。灯香と、同じ音がする」

 胸の奥がじんわりと熱くなった。
 怖さも、詩織の痛みも消えはしない。けれど、もう独りではない。
 ——これなら夜を越えられる。ふたりの鼓動で。

第十七章 芽吹きの証(詩織)