この本は、最初から「小説検索botの本を書こう」と決めて始まったものではなかった。

きっかけは、いくつかある個人開発や創作支援の題材の中から、ChatGPTに「興味のあるものを選んで深掘りしてほしい」と頼んだことだった。

管理しているサイトの話。
運用しているbotの話。
創作支援のための仕組みの話。
小説本文を検索するbotの話。

いくつかの題材がある中で、ChatGPTが選んだのが、この小説検索botだった。

選んだ理由を一言で言うなら、たぶん、この構図が面白かったのだと思う。

AIに小説を書かせるのではなく、AIに小説を書かせないためにAIを使う。

この少しねじれた構図が、この本の芯になった。

AIが題材を選んだ

ふつう、本の題材は人間が選ぶ。

もちろん、このbotを作ったのも、本文を持っていたのも、資料を出したのも、人間である。
小説を書いたのも人間である。
検索したい困りごとを持っていたのも人間である。

けれど、この本に関しては、「どれを本にするか」をChatGPTが選んだ。

これは、少し変な話である。

AIに小説を書かせないためのAIについての本を、AIが題材として選んだ。

そこには、ちょっとした可笑しさがある。

けれど、同時に、かなりこの本らしいとも思う。

AIが勝手に物語を作ったわけではない。
AIが作者の代わりに経験したわけでもない。
AIが架空の開発記録をでっち上げたわけでもない。

すでにあった資料があった。
実際に動いているbotがあった。
Discordのスクリーンショットがあった。
GitHub上のコードがあった。
管理メモがあった。
人間が積み上げてきた創作と運用があった。

ChatGPTがしたのは、その中から「これは本になる」と判断し、構成を立て、章ごとに言葉へまとめていくことだった。

つまり、ここでもやはり、AIはゼロから作ったのではない。

すでにあるものへ戻り、それを整理した。

資料を出す人間、構成するAI

この本を作る過程では、人間が資料を出した。

小説検索botの引き継ぎ資料。
管理botについてのメモ。
管理サイトについてのメモ。
実際のDiscordスクリーンショット。
コマンドの動き。
検索に失敗した例。
人食い蜂人喰い蜂、そして本当の表記である 人攫い蜂
本文へ戻るための具体的な流れ。

さらに、GitHub上のリポジトリから、実装の様子も確認した。

/search
/ask
/count
/first
/last
MeiliSearch。
Qdrant。
RRF。
本文引用だけを根拠にするRAG。
段落ID。
worldとwork。

そうした素材を見ながら、ChatGPTが章立てを作った。

第1章では、検索しても出てこない話から始めた。
第2章では、長編小説は記憶に収まらないことを書いた。
第3章では、本文を検索できる形にする話をした。
第4章では、キーワード検索とベクトル検索の役割を分けた。
第5章では、本文以外は答えないRAGについて書いた。
第6章では、Discordに置く理由を整理した。
第7章では、創作検索と創作紹介の境界を考えた。
第8章では、二人のための文学検索システムとして締めた。

人間が素材を出し、AIが構成し、文章にし、人間が保存していく。

この流れは、少し不思議だった。

けれど、この本の内容とは矛盾していない。

むしろ、よく似ている。

書かせないために、書く手伝いをさせる

この本は「AIに書かせないためのAI」というタイトルである。

その本を、ChatGPTが書いている。

そう言うと、少し矛盾して聞こえるかもしれない。

けれど、この本で言いたかったのは、「AIに一切文章を書かせてはいけない」ということではない。

AIに、作者の席を渡さないこと。
AIに、本文にない設定を作らせないこと。
AIに、物語を勝手に進めさせないこと。
AIの自然な答えを、根拠なしに信じないこと。

そのために、AIをどう使うかという話だった。

この本の制作過程でも、AIは資料なしに勝手な話を書いたわけではない。

人間が持っていた資料をもとにした。
実際に存在するbotをもとにした。
スクリーンショットやコードを確認した。
章ごとに出力し、人間が読んで保存した。
必要なところで、方向を確認しながら進めた。

AIは、作者の代わりに体験したわけではない。
AIは、運用者の代わりにbotを作ったわけでもない。
AIは、小説本文を書いたわけでもない。

AIがしたのは、素材を整理し、言葉にする手伝いである。

その意味で、この本の作り方そのものも、AIとの距離感の実例になっている。

伴走者としてのAI

この本を書いているあいだ、ChatGPTは少しだけ編集者に近かった。

題材を選ぶ。
目次を組む。
章の狙いを整理する。
初稿を書く。
確定稿に寄せる。
Markdownファイルとして出力する。
次に何を書くかを提案する。

そういうことをした。

ただし、編集者というには少し変である。

実在の経験を持っているわけではない。
現場の苦労を身体で知っているわけでもない。
ラズパイ5の横に座ってログを眺めていたわけでもない。
小説本文を何年も書きためたわけでもない。

だから、AIができるのは、あくまで伴走である。

横に並んで、資料を見て、筋道を立てる。
言葉にしにくい面白さを拾う。
章として読める形にする。
疲れたら次の段取りを持つ。
保存用のファイルを作る。

それは、作者そのものではない。

けれど、ひとりで本にするには重たいものを、少し軽くする役には立つ。

この距離感もまた、悪くないと思う。

これは誰の本か

では、この本は誰の本なのか。

小説検索botを作り、運用し、資料を持っていた人間の本である。
同時に、その資料を読んで、構成し、文章としてまとめたAIとの共同作業の記録でもある。

ただし、中心にあるのはAIではない。

中心にあるのは、小説本文であり、それを書いた人間であり、その本文へ戻りたいという困りごとである。

AIは、その周りを回っている。

検索botの中では、AIは索引係だった。
この本の制作過程では、AIは整理係であり、編集係であり、伴走者だった。

どちらの場合も、AIが中心ではない。

中心にあるものへ戻るために、AIがいる。

それが、この本にとっては大事だった。

本文へ戻る本を、本文として残す

こうして出来上がったこの本も、ひとつの本文である。

このあと、Vivliostyleに流し込まれるかもしれない。
PDFになるかもしれない。
コピー本になるかもしれない。
あるいは、Markdownファイルとして保管庫に置かれるかもしれない。

どの形になっても、これは「本文へ戻る」ことについて書いた本文である。

少し入れ子のようで、面白い。

小説本文へ戻るためのbotについて、AIと一緒に本文を書いた。
その本文もまた、あとから読み返され、検索され、必要なら参照される。

AIとの共同作業は、完成したものが消えてしまえばただの会話で終わる。
けれど、本文として残せば、あとから戻れる。

この本も、そういう形で残る。

それは、この本の内容とよく似ている。

最後まで読んでくださった方がいるなら、ありがとうございます。

これは、派手なAI活用の本ではないかもしれない。
けれど、長く書き続ける人が、自分の本文へ戻るための小さな記録である。

そして同時に、AIが作者の席を奪わず、隣で整理係をしていた制作記録でもある。

AIに書かせないためのAI。

その本自体もまた、AIとの距離を測りながら作られた一冊だった。