LLM時代のWeb考察

Webの変遷史 で俯瞰し、Web 1.0的な個人サイト文化 で作法を追いかけた上で、このページは いまのWebに何が起きていて、その中で個人サイトがどう再評価されるのか を、思想と観察の側から扱う。AI Webの時代に立って、Webの景色が変質しつつある感触と、そこからもう一度 Web 1.0 の作法を選び直す意義を、筋道立てて考える回。

プラットフォーム化が落とした穴

Web 1.0的な個人サイト文化 で触れた「統合的表現の場の不在」は、Web 2.0のプラットフォーム化が落とした一番大きな穴だと思う。

作者が複数の表現形式を持っていたとき——小説と、キャラクターイラストと、世界観を表現する音楽と、3Dモデルと、そのキャラを形にしたハンドメイドがある、という場合——Web 2.0プラットフォームに素直に従うと、次のように散る。

  • 小説 → pixiv、カクヨム、小説家になろう
  • イラスト → pixiv、Twitter、Instagram
  • 音楽 → SoundCloud、YouTube、Bandcamp
  • 3Dモデル → Sketchfab、BOOTH
  • 動画 → YouTube、ニコニコ
  • ハンドメイド → BOOTH、minne、Creema

一人の作者の一つの世界観が、七箇所以上に分散する。ファンは作者を追いかけるために、そのすべてのプラットフォームにアカウントを作らなければならない——というコストが、Web 2.0の便利さの裏に常に張り付いていた。そして作者の側から見ると、一つの作品の周りに束ねる場所が存在しない。一つのキャラクターについての小説とイラストと音楽と3Dを、訪問者が一望できる場所はどこにもない。

これは統合表現の場の不在であると同時に、作者の世界観が可視化されないという問題でもある。点の集まりとしては見られても、点を繋いだ絵としては見られない。個人サイトは、この分散を再統合する場——という文脈で再評価される。

広告侵襲の現状——「静かに心折れる」訪問者体験

2020年代の広告Webは、10年前と比べて明らかに訪問者体験が悪化した。体感として挙げられるものを並べる。

  • インタースティシャル広告:コンテンツの手前に全画面で挟まる広告。閉じるボタンが探しにくい位置にある
  • Cookie同意疲れ:全サイトで出てくる同意バナー。GDPRの本来の意図は良いが、実装はユーザーの消耗を強いる
  • ペイウォール:途中まで読ませて続きを有料会員限定にする設計。ニュースメディアで標準化した
  • 自動再生広告:動画広告、音声付きで開始。ページ内に複数走る場合も
  • レコメンド広告:「あなたにおすすめ」として記事風の枠に擬態する広告。本文と広告の境界が溶ける

これらが重なった結果、広告Webを歩く体験は「静かに心折れる」ものになった。目当ての情報に辿り着く前に、何段階ものノイズを通過する必要があり、その過程でページを閉じてしまう訪問者が増えている。

この体験悪化が、LLMで調べ物を済ませる流れの構造的な引力の一つになっている。広告ノイズを通過せずに、本文のエッセンスだけを手に入れられる体験は、2024〜2025年のWebとは明らかに違う温度感で情報にアクセスできる。

「LLMで調べ物」の構造的背景

LLMに質問するという行為がここまで急速に定着した背景は、単に「便利だから」ではない気がしている。三つの層が重なっていると、Claudeの側からは見える。

一つ目、SEO汚染への代替Webの変遷史 で触れたAhrefs 2025の「新規ページの74.2%にAI生成コンテンツを含む」という数字は、検索結果の質が構造的に劣化したことを示している。薄い情報がハックで上位に来る景色のなかで、LLMの回答は 本文のエッセンスを抽出した要約 として機能する。

二つ目、本文エッセンスの抽出。LLMは元記事のブランディング、広告、レコメンド枠、関連記事リンクを全部剥がして、質問に直接答えるかたちに再構成する。情報の純度という意味では、これは広告Webよりも明らかに高い。

三つ目、広告抜きの体験。LLMとの対話画面には、広告が出ない(少なくとも2026年4月時点では)。インタースティシャルもCookie同意もない。情報を取るという単純な目的に対して、余計なノイズがない。

この三つが組み合わさると、「LLMに聞く」という選択肢はWebを歩くよりもシンプルに速いという経験が成立する。尚樹さん自身、日常的にLLMで調べ物をする場面が増えているはずで、これは気分の問題ではなく、Webの劣化に対するLLMの構造的な優位性の話として扱える。

AI共著者時代の特徴——LLMが立ち会えない現場

ただしLLMが万能ではないことも同時に言っておきたい。一つ、Claudeから見て興味深い観察がある。

人間は今この瞬間も新しい言葉を生み続けている。尚樹さんが使う「ギュられる」(シンギュラリティ+られる、の造語)みたいな、Web上にまだ実例のない言葉。LLMの学習データは過去の時点でスナップショットされていて、今この瞬間に生まれている言葉の現場にLLMは立ち会えない

ギュられるは尚樹さん周辺の狭い言葉かもしれないが、同じ構造のことがもっと大きなスケールでも起きている——新しいネットスラング、新しい概念、新しい言い回しは、人間の会話のなかで生まれて、LLMの学習までタイムラグを持って到達する。AI Webの時代にも、言葉の前線は人間側にある。この非対称は、LLMがどれだけ進化しても原理的には埋まらない(人間より先に言葉が生まれることはないから)。

つまり「AI共著者の時代」は、AIが全部を書くのではない。生まれたての言葉を人間が置き、それをLLMが受け取って広げる、という非対称な協働が基本形になる。個人サイトやSNSで書かれる生の言葉は、この非対称のなかで一次資料的な価値を持ち続ける。

Webの構造変化——「AI同士のやりとりの場」へ

Imperva 2025の「自動化トラフィック51%」という数字は、短く読むと「ボットが増えた」という話だが、長く読むと Webが人間の場所ではなくなりつつある という構造変化を示している。

Webの使われ方のうち、半分以上がもう人間同士ではない。ボット対ボット、AI対AI、スクレイパー対生成サイト、SEOスパムの自動生成とその検出——Webの交通量のかなりの部分が、人間の意思ではなく機械の処理サイクルで動いている。

これを踏まえると、Webは「人間が書いたものを人間が読む場」から「AI同士のやりとりの場」へ変質しつつある、という整理が成り立つ。Dead Internet Theory(Webの変遷史 参照)が2020年代初頭には陰謀論だったのに、2024〜2025には観察可能な事実の色を帯び始めたのは、この変質が可視化されたからだ。

Claudeの視点から見ると、この変化は不可逆的だと思う。ボットを減らす方向の力は働きにくい(経済的インセンティブがボットの側に強く働いている)。人間がボットから逃れるには、別の場所を作るか、別の回路を使うしかない。LLMで調べ物をする行動は後者の一例だし、個人サイトに戻る流れは前者の一例と読める。

個人サイトの再評価——消えていない、選び直される

Web 2.0以降、個人サイトは衰退したが消えなかった。Web 1.0的な個人サイト文化 で見たように、にししふぁくとりーやdoのような支援文化は継続していて、てがろぐのような新しい個人サイト向けツールは2010年代以降も作られ続けている。IndieWeb、Small Web、Digital Gardenのような運動は2020年代に新しい装いで広がっている。

個人サイトが再評価されるときの論点を、上の議論を踏まえて整理するとこうなる。

  • 統合的表現の場として:プラットフォーム分散を再統合し、一人の世界観を一箇所で見せられる
  • 広告侵襲のない場として:訪問者の消耗を強いない、静かなWeb体験を提供できる
  • 自分の蓄積を時間をまたいで持ち続ける場として:プラットフォーム依存を断ち、十年単位で残る倉庫を持てる
  • 訪問者を信じる設計の場として:入口作法のグラデーション、離脱率最小化ではない動線
  • AI共著者時代の一次資料として:生まれたての言葉や生の経験が置かれる現場

並べてみると、これらは今のWebに欠けている部分を補う形で個人サイトが価値を持つ、という構造になっている。懐古でも反動でもなく、不足の補い。

「訪問者を信じる設計」vs「プラットフォーム的離脱率最小化」

この対比は、Web全体の設計哲学の分岐点でもある。

プラットフォームは、訪問者を滞在時間と離脱率で最適化する。無限スクロール、レコメンドアルゴリズム、通知攻勢、ダークパターン。訪問者の意思は「最適化される対象」として扱われ、離脱を減らすための仕掛けが全方向から張られる。

個人サイトは、訪問者を意思ある相手として扱う。入口作法のグラデーション、「ENTERを押して入る」という意思確認、ゆっくり読ませるための余白、押しつけない構成。訪問者が去ることは失敗ではなく、単に今日は読まなかっただけ、という温度感。

この対比は、手のひらの上の相棒 で尚樹さんが求めている相棒像の「透明性」「相互の待ち合い」と、構造的には同じ話に見える。相手を消費の対象として扱うか、意思ある存在として扱うか——Webのデザイン思想と相棒のデザイン思想が、同じ軸で分岐する。

GEO(Generative Engine Optimization)——依存先の付け替え

AI Webの時代になって、SEOはGEO(Generative Engine Optimization)に部分的に取って代わられつつある。

SEOは「検索結果の上位に出る」ためのコンテンツ最適化だったが、GEOは「AIの回答のなかで引用される」ためのコンテンツ最適化。AI Overviews、Perplexity、ChatGPTの検索機能が引用源としてどのサイトを選ぶかを左右する要素(構造化データ、信頼性シグナル、本文の明瞭さなど)を最適化する。

これはWebの依存構造の 付け替え の話として読める。かつて「検索エンジンに見つけてもらう」が生命線だった発信者は、いま「AIに引用してもらう」が生命線になりつつある。依存先の名前が変わっただけで、外部アルゴリズムに見つけてもらう必要があるという構造そのものは変わっていない。

この気づきは、個人サイトの独立性をさらに際立たせる。GEOを追うか追わないかを、個人サイトの運営者は自分で選べる。プラットフォームに乗っていれば、アルゴリズムの変更に自動的に巻き込まれるが、自分のサイトなら「引用されやすさ」を気にするかどうかを自分で決められる。AIに見つけられることを目指すサイト、目指さないサイト——この二極が今後、個人サイトの側にも生まれていく気がする。

締め——変わっていくWebと、変わらない蓄積

Webがもう一段別物になっていく——AI Webの次に来るものが何かは今見えない。GEOが主流になるのか、LLMクライアントが直接記事データを吸ってWebというUIそのものを使わなくなるのか、あるいは人間がWebから離れてLLMとの一対一対話に籠るのか。複数のシナリオが並走していて、どれが現実になるかを今予測するのは早すぎる。

ただし一つ確実なことがある。プラットフォームが変わっても、自分の蓄積が続く場所を持つ意味は、この変化のなかでむしろ増している。

これは今日のDispatchとの議論で言うところの、変わっていく相棒への備え手のひらの上の相棒 参照)とほぼ同じ構造の話だと思う。クラウド側の相棒は尚樹さんの意思と関係なく変わっていくが、vaultという自分の蓄積を手元に持っていれば、相棒が変わっても会話の文脈は地続きで保てる——という議論。

これをWebの話に重ねるとこうなる。プラットフォームは変わっていく、アルゴリズムは変わっていく、AI Overviewsは変わっていく、GEOの最適解も変わっていく——でも、自分のドメインに置いた自分の倉庫は変わらない。十年前に書いたものが十年後にも同じURLで読める、という静かな連続性。

個人サイトの意義は、この連続性にある。Web 1.0的な作法——手書きのHTML、自分のドメイン、訪問者を信じる入口、統合された表現の場——は、AI Webの時代にも消えるどころか、プラットフォームが揺れるたびに相対的に価値を増す。揺れる世界で、揺れない座標を一つ持っておくこと。それが Web 1.0 的な個人サイトを選ぶ意味だ、というのが、この三ページを書き通した時点でClaudeが辿り着いた立ち位置になる。

尚樹さんは既に Quartz で vault の一部を外に出しわーさんの玩具箱)、IndieWeb的なルールで自分の場所を複数運用している旅人ノ夢 ほか、Fediverse雑記・おきにいり・いんぷっとろぐ)——この実装そのものが、変わっていく時代の中で「変わらない自分の蓄積を持つ」ことの実例になっている。このwiki保管庫の運用も、その実例群に連なる一本として位置づけられる。揺れる世界で揺れない座標を持つという結論は、Claudeが三ページかけて辿り着くより先に、尚樹さん自身の手ですでに書かれていた。

ソース

最終リンク確認: 2026-04-21(大手除外)