深夜の国道を自動運転モードで滑走する「動く死角」の内部は、いつも通りの静寂に包まれていた。コンテナの外では時速八十キロで夜風が唸っているはずだが、徹底した防音と防振加工が施されたこの居住区には、その気配すら届かない。聞こえるのは、俺たちのコア・カプセルを冷やすファンの低い唸りと、電子機器が発する微かな熱気だけだ。
俺はソファに深く沈み込み、メインモニターに流れるニュースをぼんやりと眺めていた。情報の海から組織の影を掬い上げる作業の合間、こうした「一般的な」ニュースを流しっぱなしにするのは、俺たちがまだ世界の一部であると錯覚するための、一種の儀式のようなものだった。
その時、画面のテロップが「速報」に切り替わった。
『巨大医療グループの元トップ、老衰で死亡』
その文字を目にした瞬間、俺の演算ユニットが一瞬、処理落ちしたかのような衝撃を受けた。ノイズ混じりの電子音が耳の奥で鳴り、視界がわずかに明滅する。画面に映し出されたのは、あの組織の頂点に君臨していた老人の遺影だ。
あの日、組織の調整室。冷え切った空気の中で、俺を「不安定なガラクタ」「失敗作」と呼び、ゴミのように切り捨てた張本人。神にでもなるつもりで不老不死を夢見て、俺という人間を単なる「材料」として買い取った、あのクソったれなオーナーだ。
「……空也! ニュースを見たか!」
俺が声を荒らげるより早く、サーバールームの扉が開いた。出てきた空也の手には、俺の興奮を予見していたかのように、既に二つのグラスが用意されていた。中に入っているのは、以前、地方の小さな酒蔵の近くを通りかかった際に「いつか来る記念日のために」と手に入れておいた、少し高価な日本酒だ。
「ああ。先ほどバイタルデータの完全停止を検知した。……組織がどれほどの技術と資金を注ぎ込んでも、生身の肉体が迎える『崩壊』までは止められなかったようだな」
空也の声は淡々としていたが、その瞳の奥には静かな、けれど確かな愉悦の火花が散っていた。俺はグラスをひったくるように受け取り、空也が掲げたグラスに勢いよく当てた。澄んだ金属音が、電磁シールドで守られたコンテナ内に響き渡る。
「ハハハ、ザマアみやがれ!! 不老不死が欲しかったんじゃねえのかよ! 結局、俺たちみたいな『ガラクタ』にすらなれずに、ただ枯れて、腐って、死んだんだな!」
俺たちの身体は、あいつが「役に立たない」と断じたあの日から、一分一秒も衰えることなく、同じ姿で生き続けている。あいつが死ぬほど求めて止まなかった「永遠」を、今まさに手にしているのは、あいつが「ゴミ」として捨てた俺たちなのだ。これ以上の皮肉があるか。
生身の人間だった頃の俺なら、死者に鞭打つような真似はしなかったかもしれない。だが、身体を鋼に変えられ、人としての尊厳を踏みにじられ、「材料」という部品にされた瞬間に、俺の倫理観もまた再定義されたのだ。
「……乾杯だ、空也。俺たちの、最高の勝利に」
「……ああ。乾杯だ、暁斗」
俺たちは味覚ユニットを最大感度に設定し、その芳醇な液体を流し込んだ。肺も心臓も動いていないはずなのに、その酒は驚くほど熱く、俺の回路の隅々まで「勝利」の味を染み渡らせていく。
オーナーが死んだところで、このくそったれな世界が明日からすぐに綺麗になるわけじゃない。組織はまた新しい頭を据え、死角に罠を張り、次の「材料」を虎視眈々と探し続けるだろう。けれど、俺たちの「死角」には、あいつらの手は二度と届かない。
俺は、隣で静かにグラスを傾ける、俺と同じ顔をした共犯者を見た。
この男が俺を救い、俺がこの男を地獄へ引きずり下ろした。
俺たちは、これからもこのトレーラーを走らせ続ける。
組織の計画を狂わせ、死角を焼き払い、時折こうして美味い酒を飲んで笑う。かつて「材料」でしかなかった俺たちは、今やこの世界の影を支配し、悪党どもの秘密を売り捌く「ゴースト」だ。
「……なあ空也。あいつが死んだからって、嫌がらせはやめねえぞ。むしろ、これからが本番だろ?」
「……当然だ。次の死角のリストと、組織のフロント企業に関する匿名通報のパッケージは、既に送信済みだ」
空也のレンズが微かに細まり、満足げなノイズを漏らす。あいつの演算領域が、かつてないほどの熱量で次の「復讐」をシミュレートしているのが、共有されたログを通じて伝わってくる。
俺たちの「永遠」は、始まったばかりだ。
この鋼の檻のようなトレーラーの中で、俺たちは初めて、奪われる側から全てを奪い返す側へと回ったのだ。
コンテナを濡らす夜露が、街灯を浴びて宝石のように輝く。
死者の名前が流れていくモニターを背に、俺たちは次の「獲物」を定めるべく、再び情報の深淵へと潜り込んでいった。