蔦がほどけ、蜂の巨体が崩れ落ちた。見れば、あれだけ茂っていた他の葉も枝も、力なく垂れ下がっている。
 その隙間から飛び出してくる無害な小動物たちの多さに驚いたけれど、ああでも、何だか腑に落ちた。

 ……ルークス、だった。
 魔法をかわす間合いも、攻撃の癖も、わたしが教えたものそのまま。
 優しくて、負けず嫌いで……結果として、周りの為にやせ我慢してしまう癖まで、そのまま。
 ずっと、蜂からわたしを庇っていた。何より、零れ落ちた名前に、反応した。反応させてしまった。
 わたしのせいで、こんな、瀕死に。

 駆け寄り、絡み合う蔦の根元に手を置く。
 かすかに残る魔力の脈動——あまりに弱々しくて、このままでは直ぐに儚くなってしまうかもしれない。
 蜂の毒も深く回っている。どうやら、それなりに怨念のこもった特殊毒のようだ。
 治癒魔術で解毒しても良いけれど、完全に回復する保証もないし、何よりあなたはまた狙われるでしょう。……誰も立ち入らなくなったこの森で、独りきり。

 永く生きるわたしをわざわざ庇うだなんて、本当に、バカな子。
 ただでさえ短いあなたの寿命を削るような価値なんて、わたしには……
 ——寿命。ふと、頭の片隅に、引っかかるものがあった。エルフよりも永く生きる、それこそハイエルフにも匹敵する寿命を持つんじゃないかと考えられている、植物があった。その特徴と、目の前で枯れつつあるルークスが、重なる。
 
 もしかして。高速で思考が回る。
 もしかしたら。そんな可能性も?

 だからわたしは、あなたを連れ出すことにした。わたしの自己満足のために。
 幸いにも、わたしの最も得意とする魔法は、土人形の作成だ。寂しさを紛らわせる為に極めて、でもやっぱり人形の相手は虚しくて、最近は本気で作成していなかった。もし、そこに植え替えられれば、或いは——

 先ずは、蜂の毒を中和する治癒魔術をかけた。これ以上、この毒に晒しては駄目だ。
 毒を中和しても、黒ずんだ根元は戻らない。やはりこのまま置いておくより、まだ新しい環境に植え替えた方が、助かりそうだった。

 焦る気持ちを抑えながら、「核」を探して取り出す。
 根元深くにある魔力の中心部。
 掘り出すたび、体を成す蔦や葉が崩れ、冷たい土に沈んでいく。
 胸が潰れそうになるけれど、手を止めるわけにはいかない。

 掘り返した土から比較的魔力の多い部分を集めておくのも忘れない。
 慣れた土壌が少しでもあった方が、きっと定着率が上がるだろうから。

 遭遇した時は森の一角を占められそうなほどの大きさだったのに、結局無事に掘り出せた「核」と根はほんの少ししか残っていなくて、ますます泣けてきた。
 こんなに小さくなってしまった——手のひら大の植木鉢に、収まってしまうほどに。
 本当は枝ごと持ち帰りたかった。でも、地表に出ていた部分は、残念ながら全て、壊死してしまっていた。
 ごめんなさい。こんなになるまで、追い詰めてしまって。
 ごめんなさい。今から施すこと、あなたは許してくれるだろうか。

 なりふり構わず、転移魔法で家に飛んだ。
 直ぐに半地下の工房に降りて、術式を刻む魔石と刻印用の小刀を準備する。
 集めてきた土と、わたしの持つ素材とを組み合わせながら、植え替える土壌となる土人形の素体を組み上げていく。
 世界樹の落ち葉で作った腐葉土。竜の血を含んだ土。アルケニーの紡ぐ糸。胡蝶石。他にも、思い付く限り最高の素材を、惜しみなく使い込んだ。
 当然、一つ一つが貴重な素材で、きっともう二度と手に入らないかもしれないものだってある。
 だけど、それがどうした。あなたには、換えられない。

 人間の頃の面影を——あの笑顔を、思い出しながら形を作った。
 ……頼むから、これでまた息をして。

 核を両手に包み、素体の胸部に埋め込む。
 同時に、まだ辛うじて息づいている細い根を、素体の内部に張り巡らせるよう接続していく。
 魔力の糸で縫い合わせ、刻印で固定する。

 ……お願い、戻ってきて。もう二度と、わたしをおいて逝かないで。

 素体の胸に手を当て、魔力を送り込み続ける。
 やがて、淡い緑の芽が、土人形の首元から弱々しく顔を出した。
 小さな命の色。
 それを見て、わたしはようやく短く息を吐く。

 素体を作るのに想定外の時間が掛かってしまったから、途中から必死だったのだ。
 でも、ルークスは枯れずに、待っていてくれた。
 これだけ弱っていても、この生命力。やっぱり、あなたは……

 わたしは小さく首を振った。
 まだ手放しで安心できる状態じゃない。

 あなたの意識が戻るまでは。いいえ、その後も、わたしが傍にいる。
 もう、手離さない。

第九章 まだ生きていたなんて