雪の降る森を、深山智樹は慎重な足取りで探索していた。まだ幼さの残る横顔には真剣さに加え、少しばかりの疲労も見える。
高校卒業間際に天涯孤独の身となってしまった彼にとってそろそろ一ヶ月になろうかという冒険者の仕事は、決して楽なものではなかった。異界配信で華々しく稼げるのはほんの一握りの上澄み冒険者だけ。危険を冒す、文字通り命がけの仕事なんて、本当は智樹だってやりたくなかった。けれど高卒未満でできる他の仕事なんて、直ぐには思い浮かばなくて……。
世界中に昔から存在する数々の異界は、智樹たちの住む現界とは地続きながらも、少しばかり何かしらの法則が異なるから異界と呼ばれている。勿論日本だから異界と呼んでいるだけで、他の国ではダンジョンだなんてカッコいい呼び方がされており、最近はそっちで呼ぶ人も……話が逸れた。
ともかく異界に出入りし、何かしらの社会的貢献を行う仕事を今の日本では冒険者と呼んでいる。国家運営の冒険者協会に登録を行い、そこから貸与される魔力追尾式録画ドローンを携行することが義務付けられているので、智樹の横にもそれが浮いていた。仕事の邪魔にならないよう静かに、けれど国曰く「何かあった場合のため」に智樹の様子を録画しているはずだ。配信機能もあるので、それで稼いでいる冒険者もいるのは前述の通り。智樹はそこまでの度胸はなく、単に己の固有魔力を動力としてついてくる身分証明書としてほぼ放置状態であったが。
配信で稼げない以上、新人の智樹にできることは地道な採取仕事が精々で、今日もこの異界にしか生えないという薬草を探しに来ていた。ここ、『屍蔓の森』は外から見えるよりも遥かに広い領域を持つ異界で、下手に深入りしなければ比較的浅い場所でも希少な薬草が採取できると評判だが、深入りして屍蔓に出会ってしまった場合は取り憑かれて締め殺されるとも苗床にされるとも言われていた。
どれくらい歩いただろうか。雪に覆われた低木を掻き分けた先、智樹の目が大きく見開かれた。
「……っ、あった……!」
倒木の根元、雪の白さに紛れるようにして、淡い青色の葉を特徴とする薬草が群生していた。協会の資料で見た通り、この異界にしか存在しない、高価な採取対象だ。初めて目にする高級素材に、智樹は震える手で採取用のナイフを握り直した。
けれど不意に、その歓喜を断ち切るように、横に浮いていたドローンが不穏な警告音を鳴らした。タッチパネル式の操作画面にはノイズが走り、智樹の操作を受け付けない。
「えっ、何、故障……?」
智樹が戸惑う間もなく、静まり返っていた森の奥から、複数の足音が雪を蹴立てて近づいてきた。
「おい、新入り。いいもの見つけたじゃねえか」
現れたのは、協会内で見かけたことのある数人の先輩冒険者たちだった。
彼らの手には、この場には不釣り合いなジャミング機が握られている。国が「何かあった場合のため」に持たせているドローンの通信を、彼らは意図的に遮断していた。
「ここ、俺たちの縄張りなんだわ。新人に勝手に荒らされちゃあ困るんだよなあ」
軽そうな言葉の調子とは裏腹に、彼らの瞳には明確な殺意が宿っていた。
身寄りのない新人が、誰もいない異界の奥で消えても、誰も真面目には探さない。ニュースにだってなりやしない。ただ協会の週報で、ひっそりと死亡の数に入るだけ。
智樹は本能的に察した。彼らは最初から、薬草だけではなく、自分の命すらも奪い、功績を横取りするつもりなのだと。
「——っ!」
智樹は薬草を諦め、無我夢中で反対方向へと駆け出した。
背後から飛んでくる罵声と、肉を断とうとする刃の風。
雪で足を取られながらも、智樹は異界の更に奥、危険とされる領域へと入り込んでいく。
木々の隙間から、古びた「庵」のような建物が視界に入った瞬間だった。
「あ……?」
一瞬、意識をそちらに奪われた智樹の背後から、冷たい衝撃が突き抜けた。
鋭い刃が、智樹の背部から腹部にかけてを深く、残酷に貫く。
「……ぁ、……がはっ」
地面に崩れ落ちた智樹の視界に、自分の体内から溢れ出す鮮血の赤が、雪の白さを染め変えていくのが見えた。
「うっひょう、もしかしてこれ、未発見の遺跡じゃないか!?」
「こいつのドローン、もっと念入りに壊しておけよ! まだ電源落ちてねーじゃん」
背後で先輩冒険者たちが騒いでいたが、それらはまもなく別の騒めきと怒号に変化していった。
「屍蔓じゃねえか! チッ、一旦ずらかるぞ。新人は屍蔓どもが始末するだろ」
この森に深入りして屍蔓に出会ってしまった場合は、取り憑かれて締め殺されるか、苗床にされるか……。先輩たちは逃げられた。智樹は逃げられない。どっちにしても、この傷では長くないだろうけど。
智樹は異常な寒さを感じていたが、それが倒れた自分に降り積もる雪のせいなのか、自分が血を失い過ぎたせいなのか、分からなくなっていた。ただ一つ確かなことは、今更どう足掻いても、この状況が完全な「詰み」だということだ。
血の匂いに惹かれるように、周囲に不気味な蔦が……屍蔓たちが、カサカサと音を立てて集まり、蠢き始めている。薄れゆく視界の端、一株の「斑入りの蔦」が、白く光りながら智樹の傷口に……
智樹はそれ以上、意識を保っていられなかった。