森を彷徨(さまよ)うようになって、三週間以上が過ぎようとしていた。
 この間、智樹(ともき)踏破(とうは)した森の面積は、ちょっとした町くらいにはなった。毎日違う場所で眠り、水を飲み、獲物(えもの)を追いかけ、移動し続けてきたからだ。何せ水場の場所だけはどこにいても分かるし、夜はユキに包まれて眠るので、決まった場所に居座る意味がなかったというか。
 けれどユキの感覚を借り、水場や獲物(えもの)の居場所を効率的に把握(はあく)できるようになった智樹(ともき)は、無意識のうちに、ある場所へと引き寄せられていた。
 木々の隙間(すきま)から見覚えのある古びた屋根が視界に入った瞬間、智樹(ともき)の足が止まった。
 あの日、先輩冒険者たちに追い詰められ、冷たい刃で腹を(つらぬ)かれた——あの「(いおり)」だ。
「……ああ、ここか」
 雪は()んでいたが、地面にはまだあの日と同じような白さが残っている。
 自分が血を流し、死を待つだけだった場所。そして、智樹(ともき)という「人間」が終わり、異形(いぎょう)としての生が始まった場所。
 腹部の傷はもうユキによって完全に(ふさ)がれているが、その奥が焼けるように(うず)く気がした。
 智樹(ともき)は、(いおり)の入口にほど近い岩場に力なく座り込んだ。
 これまでは、「生きるために仕方ない」と割り切ってきた。ユキの便利さに甘え、名前をつけ、(いつく)しんできた。
 けれど、この場所に戻ってきてしまったことで、考えまいと封じ込めていた記憶が濁流(だくりゅう)となって押し寄せる。
 先輩冒険者に刺されたこと。
 天涯孤独(てんがいこどく)になり、ようやく手にしたはずの冒険者としての未来を(うば)われたこと。
 そして、何よりも——二度と、あの頃の「普通の人間」には戻れないこと。
「……っ、……はぁ、……っ」
 智樹(ともき)の心から、ドロリとした重く暗い感情が(あふ)れ出した。
 「かなしい」「くるしい」「さみしい」。
 それらは神経の接続を通じ、濁流(だくりゅう)となってユキへと流れ込む。智樹(ともき)の瞳から、一筋の涙が(こぼ)れ落ちた。
 ユキは、ひどく狼狽(ろうばい)した。
 宿主である智樹(ともき)から伝わってくる、これまでにないほど深く、冷たい負の感情。
(ともき、かなしい? くるしい? どうしたら、いい?)
 ユキは必死に考えた。かつて、智樹(ともき)が自分にしてくれたことを。
 大雨の日、自分が光を失ってしゅんとしていた時、彼はどうしてくれたか。
 ——あたたかい気持ちを、指先に乗せて。
 ユキの(つた)が、智樹(ともき)の意志を介さずにゆっくりと動いた。
 それは以前のような、なりふり構わず必死に相手を捕縛(ほばく)するような動きではない。
 細い(つた)の先端が、(ふる)える智樹(ともき)の肩にそっと()れた。そして、彼が自分にしてくれたように、不器用に、けれど懸命(けんめい)に——その肩を()で始めたのである。
(だいじょうぶ。ここに、いる。ともき、あったかい。ひとり、じゃない)
「……え、……ユキ?」
 (つた)が、自分を()でている。
 智樹(ともき)衝撃(しょうげき)に目を見開いた。その不器用な(つた)の動きから、ユキの「心配」と「(いつく)しみ」が、痛いほどに流れ込んでくる。
 自分を怪物(かいぶつ)に変えた(のろ)いだと思っていたこの(つた)が、今は自分を一人にさせまいと、一生懸命(いっしょうけんめい)(なぐさ)めようとしている。
「……っ、……ぁああ……っ!」
 智樹(ともき)は声を上げて泣いた。
 ユキは智樹(ともき)がさらに泣き出したことに(あわ)て、(つた)をわたわたと動かしながら、何度も、何度も、ぎこちなく彼の(ほお)や背中を()で続けた。
「……ひっ、……はは、……お前、必死かよ……」
 泣きながら、智樹(ともき)は思わず笑ってしまった。
 不格好で、下手くそな、けれど温かな(なぐさ)め。
 智樹(ともき)は、自分を()でる(つた)をそっと(にぎ)りしめた。
「……ありがとう、ユキ。(うれ)しいんだ、たぶん。……悲しいけど、(うれ)しいんだ」
 ユキには、「泣いているのに(うれ)しい」という矛盾(むじゅん)した感情は理解できなかったかもしれない。
 けれど、智樹(ともき)から伝わってくる波長が、少しだけ「あたたかく」なった。
 それだけで、ユキは満足だった。ユキは智樹(ともき)の身体を、これまでよりもずっと優しく、抱きしめるように包み込んだ。

癒蔓の子・第十一話