(いおり)での涙の決壊(けっかい)から(さら)に月日は流れ、智樹(ともき)が異界に取り残されてから一ヶ月以上が過ぎようとしていた。
 この頃になると、二人の関係は「寄生」や「共生」という言葉すら通り越し、一つの完成された生命系のような、見事な調和を見せ始めていた。
 その日の狩りは、朝の陽光が木々の間から差し込む、静かな時間に行われた。
 智樹(ともき)は雪を深く()みしめながらも、その足取りは以前の彼とは比較(ひかく)にならないほど軽く、音がない。ユキの根が足裏の筋肉と連動し、重心の()れを完璧(かんぺき)補正(ほせい)しているのだ。
(……ユキ。あっち、か?)
 智樹(ともき)の思念に、左腕の(つた)がピクリと反応し、先端が北西の(しげ)みを指し示した。智樹(ともき)自身の目にはまだ何も映っていない。しかし、地面に下ろされたユキの微細(びさい)な根が、数百メートル先の獲物(えもの)の足音を、振動(しんどう)として智樹の神経に直接伝えていた。
 (しげ)みを抜けた先、一頭の大角鹿が水を飲んでいた。
 かつての智樹(ともき)なら、仕留めるどころか近づくことさえ困難な強敵だ。だが、今の彼に迷いはない。
 智樹(ともき)は採取用ナイフを逆手に(にぎ)り、精神を集中させる。彼の魔力はユキと——屍蔓(しかずら)と混ざり合うことで、かつて含んでいた荒々しい火の性質を失い、今では森の静寂に溶け込むような、(おだ)やかな水と生命の波長に変わっていた。
(……まだだ、ユキ。もう少し引きつける)
 念じると、今にも飛び出そうと脈動していた左腕の(つた)が、すっと静まった。
 以前のような暴走はない。ユキは智樹(ともき)の判断を完全に信頼し、彼の「待て」という指示に、幼子が親の言葉に従うような純粋さで応えていた。
(……今だ!)
 智樹(ともき)が駆け出す。
 それと同時に、左腕から斑入(ふい)りの(つた)が爆発的な速度で伸びた。
 かつてなら、ユキは智樹(ともき)のつけた傷に反応して、見境なく獲物(えもの)を締め殺していただろう。逆に、そうでもなければ、自発的に獲物(えもの)(とら)えることもなかった。
 しかし、今のユキは違う。
 (つた)は傷のない鹿の動きを封じるために、その角と(あし)を的確に(から)め取った。それは、「()やそうとする暴走」ではなく、明確に智樹(ともき)の狩りを「手伝う」ための、理知的な動きだった。
「よし、いいぞ。ユキ!」
 智樹(ともき)がそのまま、止めを()す。鹿が絶命すると、ユキは「お腹が空いている智樹(ともき)のために(つか)まえた」と言わんばかりに、得意げな波長を彼に送り込んできた。
 智樹(ともき)は荒い息一つ吐くことなく——ユキから常に酸素が供給されているため、心肺への負担は極めて低いのだ——獲物(えもの)(かたわ)らに膝をついた。
「助かった、ありがとな。……お前、本当に狩りが上手くなったな」
 智樹(ともき)が左腕の(つた)(やさ)しく()でると、ユキの葉の(ふち)から、喜びを証明するような白い光の粒子(りゅうし)がポコポコと(あふ)れ出した。
 智樹(ともき)の「(うれ)しい」がユキに伝わり、ユキの「(ほこ)らしい」が智樹(ともき)を満たす。
 獲物(えもの)の解体さえ、今ではユキの細い(つた)が補助することで、(おどろ)くほど手際(てぎわ)よく進んでいく。
 食後、水辺で手足を洗う智樹(ともき)(かたわ)らで、ユキは満足そうに葉を広げて陽光を浴びていた。
 排泄(はいせつ)の必要もなく、持久力に(あふ)れ、森の全ての気配を共有する身体。このままこの森で、ずっと暮らしていくのか——
 智樹(ともき)は、ふと空を見上げた。何だか、妙な胸騒(むなさわ)ぎがしたのだ。
 そんな彼の予感を裏付けるように、翌日。
 森の静寂を破り、智樹(ともき)たちのテリトリーに「異物」の気配が()み込んできた。
 ユキの根が伝える、複数の、重厚な足音。鼻をつく、金属の臭い。
 ——探索隊との遭遇(そうぐう)まで、あとわずか。

癒蔓の子・第十二話