時は流れ、数ヶ月後の、穏やかに晴れた昼。
町外れにある智樹の家の庭には、柔らかな陽光が降り注いでいた。
智樹は庭の隅にある井戸の傍らに立ち、水魔法で直接、冷たい水を喉に流し込んでいた。かつては数リットルもの水をがぶ飲みする自分に恐怖を覚えていたが、今ではそれが、渇いた大地が雨を吸い込むような、ごく自然で心地よい儀式になっている。
智樹が満足げに息をつくと、彼の左腕から肩にかけて広がる斑入りの蔦――ユキが、応えるように葉をぴんと跳ねさせた。「おいしいね」という無邪気な充足感が、神経の接続を通じて智樹の胸を満たした。
「……さて、飯にするか」
智樹は縁側に腰を下ろし、小皿に乗った焼き肉を手に取った。「ただの塩味」ではなく、無人スーパーで勇気を出して買ってきたスパイス、加えて先日篤司に差し入れられたタレをたっぷりと振りかけてある。
一口噛み締めると、ピリッとした刺激と肉の旨みが口いっぱいに広がった。「文明の味」は、自分がまだ人間としても在ることを思い出させてくれる、大切な要素だ。ユキもまた、智樹が感じる「美味しい」という感情を共有し、嬉しげに白い光の粒子をポコポコと溢れさせていた。
そこへ、聞き慣れた足音が近づいてきた。
「よお、生きてるか」
低い、ぶっきらぼうな声。見上げれば、そこにはいつものように、肩にドローンを浮かせた篤司が立っていた。
「……篤司さん。見ての通り、生きてますよ」
「飯、食ったか」
「今、食べてます。肉です」
「光合成は」
「……今、してます」
もはや挨拶代わりとなったお決まりのやり取りに、智樹の口元が自然と緩む。篤司は智樹の隣にどっかと腰を下ろし、庭を眺めた。
「相変わらず、平和なもんだな。町じゃ『日向ぼっこしてる植物系冒険者』って、ちょっとした名物になってるぞ」
「そ、そうですか」
「あと、この前は希少な薬草を迅速に入手できて助かったと、協会に投書が来てたぞ。さすが『癒蔓の森の専門家』」
「……恥ずかしいから、あまり言わないでください」
智樹は少し赤くなって顔を伏せたが、その表情に以前のような影はない。
篤司はからかうように「癒蔓の森の専門家」と口にしたが、実際にたった数ヶ月の活動で智樹はその特異性を存分に発揮し、協会へ彼の有用性を見せつけていた。
ユキがいれば、他の癒蔓は過剰な行動を取らない。ユキ自身の成長も著しく、森の他の植物の声までも把握し、智樹に伝えられるようになっていた。だから希少な薬草でも問題なく、森の生態系を保ちつつ、採取して来られる。
かつて智樹が倒れた庵の付近などは今では完全に智樹の第二の庭のような場所で、異界の奥にあるにもかかわらず、入口からでも何があったか把握できるレベルである。
結果として『癒蔓の森』における智樹の依頼達成率は群を抜いており、「専門家」だとか言われるようになったのであった。
因みに智樹本人は、まだこの二つ名に足るだけの実力がないと恥ずかしがっており、こうして篤司にからかわれるネタになっていたりもする。
「そう言えば」
ふと、篤司が智樹に訊ねた。
「ユキって、どんな漢字を書くんだ?」
智樹は首を振った。
「ユキは、カタカナでユキなんです。色々考えたんですけど、全部捨てられなくて」
雪の日に出会ったから。雪のような白い光で癒やすから。雪のような白い斑入りの蔦だから。
癒やす希望だから。友だちとして共に生きたい希望を込めて。
幸せに、なりたい。なって欲しい。
智樹がつらつらと話すのを、篤司は黙って聞いていた。ユキはふわりと雪のようだと言われた白い光の粒子を浮かべ、そっと智樹の頬に細い蔦を這わせた。
頭上では、ひび割れ一つない新しいドローンが、静かに二人の様子を記録している。事件の前は意味が感じられず、連れて回るのが面倒だとさえ思っていたその光が、今では自分を見守ってくれる温かな眼差しのように感じられるのだから、人間変わるものである。
智樹を包むユキの葉が、午後の光をいっぱいに受けて輝いている。
「……ってな感じです。それにしても美味しいですね、これ」
「そうか。次はもっといいタレでも買ってきてやるよ」
穏やかな風が、二人の間を通り抜けていった。
傷つき、一度は「人間」を辞めた少年。けれど今、彼はこの異形の相棒と共に、新しい名前を持った森の専門家として、この世界に確かな根を下ろして生きていた。
かつて、愛しい相手を想って作り出された癒蔓。屍蔓と呼ばれて数百年、ようやく本来の名の通りに作り主の夢を叶え、少年と共に生きている。
共に生きる、智樹とユキの新しい日常は、これからもこの陽光の下で続いていく。