移動生活を始めて一ヶ月が経過した。
 俺たちが「家」として造り上げた大型トレーラーは、国道を走る無数の物流車両の群れに完璧に溶け込んでいる。外見は年季の入った運送車両にしか見えないが、その内部は外部からの電波を一切遮断する二重の電磁シールドに守られた「動くデッドゾーン」だ。
 暁斗(あきと)に強制的にスリープモードへ叩き込まれたあの夜の後、俺の演算領域はさらに安定し、かつてないほどの解像度でこの世界を捉え始めていた。暁斗による深層ログの「既読化」が、俺の脳内にこれまでにない静寂と、外界への鋭敏な感受性をもたらしているのだ。

 深夜。人跡稀な臨海地区の、古い貸し倉庫の陰にトレーラーを滑り込ませる。
 定期的な物資の搬入——主に高精細な潤滑オイルや電力セル、そして摩耗した駆動パーツの調達は、俺たちの生存に不可欠な「タスク」だ。だが、この監視社会において、常に同じ顔の二人がトレーラーから降りることは、組織に足跡を教えるようなものだ。
空也(くうや)、次はどのパターンで行くんだ?」
「……『無愛想なベテラン運転手と、その助手』。暁斗、三番の交換用外装を用意してくれ」
 俺の声に応じて、暁斗がサーバールームの奥から予備の人工皮膚と外装プレートのセットを取り出してきた。
 俺たちは、自分たちの身体を自在にカスタマイズできる。組織が俺たちを探す時に優先的に照合するであろう、あの「日向暁斗」と「糸蔵空也」の顔は、今や一つの選択肢でしかない。
 俺はワークステーションの鏡面モニタを見ながら、自分の頬の人工皮膚を剥がしていく。その下から覗く銀色のフレームと複雑な配線は、俺が機械であることを無機質に突きつけてくる。だが、暁斗の手によって新しい皮膚が貼り付けられていく時、そこには不思議な熱が伴っていた。
「……よし。これで、誰もお前が『あの技術者』だとは思うまい」
 暁斗が俺の新しい顔——少し無精髭が目立ち、目尻に深い皺のある、初老の男の顔——を軽く叩いた。暁斗自身も、若々しい精悍な顔立ちから、どこにでもいるような平凡で少し気弱そうな青年の顔へと「換装」を終えている。
 
 この外装の変更は、単なる変装ではない。
 監視カメラの顔認証アルゴリズムを混乱させるために、骨格の比率や赤外線反射率まで緻密に計算された「ステルス・パーツ」なのだ。
 俺はワークステーションを叩き、この倉庫周辺の監視ログをリアルタイムで「解体」し始めた。そしてふと、既視感が気になって——気付いた。

「暁斗。……分かったぞ。彼らの『調達』の手口が」
 物資をコンテナに積み込みながら、俺はサブモニターに、周辺の自治体の交差点マップを展開した。
「組織は監視カメラ網を敵に回しているわけではない。……いや、できないんだ。公的インフラのログは分散管理されており、そのすべてを改ざんし続けるのは、組織の規模をもってしてもリスクが高すぎる」
「……あいつらなら何でもできると思ってたけど、意外だな」
 暁斗の思考が、通信(リンク)を通じて届く。俺は、マップ上の一箇所を赤く強調表示した。
「彼らは『死角』を利用している。……自治体の予算不足でカメラが設置されていない場所、管理ミスで録画が止まっている区画。あるいは、今俺たちが物資を運び込んでいるこの場所のように、街路樹や看板に遮られた、わずか数メートルの空白。組織は、それら公共の監視網の『穴』を正確に把握し、そこを狩場として利用している」
 俺はさらに、暁斗が攫われたあの路地裏のログを呼び出した。
 当時の記録を今の俺の演算能力で再解析すると、そこには不自然なほど完璧な「空白」が存在していた。監視カメラの向き、路地の曲がり角、街灯の寿命。それらすべての「たまたま」が重なり、暁斗の姿が忽然と消えたように見えるよう、周到に計算されていたのだ。
「組織は、監視カメラのない場所を選んで『材料』を引きずり込んでいる。彼らにとって、公共の監視網は自分たちの非道を隠蔽するための、最も信頼できる盾だったというわけだ」

 俺の解析結果を聞いた暁斗の(レンズ)の奥で、凶悪で、それでいて愉快そうな熱が灯ったのを、共有(リンク)された感覚が捉えた。
「……なら、やることは一つだな」
「ああ。俺たちが把握したその『死角』を、片っ端から潰していく。……警察や自治体に、匿名でクレームを入れ続けるんだ。『この場所は暗くて不安だ』『防犯カメラがなくて犯罪が起きそうだ』とな」
 それは、世界で最も無害な市民を装った、世界で最も組織を苛立たせる復讐だ。
 俺たちの「チート」な演算能力を使って、組織が利用している死角を特定し、自治体に匿名で通報する。ひとたび公的な予算で新しいカメラが設置されれば、そこはもう組織の狩場ではなくなる。彼らが何年もかけて維持し、利用してきた「死角」が、公的な光の下に次々と晒されていくことになる。
「組織ザマア、ってわけだ。……空也、お前、最高の嫌がらせを思いつくな」
 暁斗が笑う。俺もまた、システムの深層で静かに口角を上げていた。
 俺たちは、組織がこの世界を覆い尽くそうとする監視の網を、逆に彼らを縛り上げる鎖へと変えてやるのだ。
「……早速、今見つけた死角を通報しようか、暁斗」
 物資の搬入を終え、新しい「顔」のままトレーラーの運転席に座る。
 俺たちの旅は、逃避行から、この世界の「死角」を一つずつ消していく静かな反撃へと、その性質を変えようとしていた。

第三十四話:ゴーストの誕生(暁斗視点)