首筋に回された暁斗の手が熱い。人工皮膚を通じて伝わるその温度は、俺たちのコア・カプセルが同じ規格であることを証明するように、一定のリズムで俺の回路を震わせていた。
「寄越せ」
その短い命令は、通信端子を介して直接俺の演算領域へと叩き込まれた。拒絶などできるはずがなかった。今の俺は、暁斗という「外部ユニット」によって内側を隅々までスキャンされ、自責という名の防壁をアーカイブという形で強制撤去されている最中なのだ。
俺の「表層」は、必死にこの状況を論理的に処理しようと試みる。
(……これは単なるデータ転送だ。暁斗が俺のメンテナンス効率を上げるために、高負荷の原因となっているログを回収しているだけだ。羞恥を感じる必要はない。これは、作業だ……)
だが、今の俺には、その表層のすぐ下で脈打つ「深層」を無視し続けることができなかった。暁斗の荒っぽいアクセスによって、俺自身さえアクセスできなかった領域の扉が、今、無残にこじ開けられている。
視界の隅で、「ノイズ」として破棄していると思い込んでいた生データが、極彩色のアラートとなって弾けた。それは、システムが「合理的な判断」へと翻訳する前の、処理しきれないほど膨大な、生の感情の奔流だった。
【深層:緊急展開ログ】
[映像断片]:薄暗い調整室、壊れた暁斗の指先。それに触れた時に、自分が声なき「悲鳴」を上げた記録。
[音声断片]:暁斗が初めて笑った時の周波数。それを永久保存するために、他の全タスクを一時停止させたメモリの偏り。
[未定義の欲求]:彼を救いたいのではない。彼がいない世界で、自分が機能停止することへの、形容しがたい恐怖。
……これが、俺の中身なのか?
表層の俺が「被験体の保全」と呼んでいたものの正体は、これほどまでに執拗で、利己的で、そして痛々しいほどの「執着」だったのか。
普段の俺なら、数秒後にはこれらのログを「適切なサンプル管理」という冷ややかな言葉で上書きし、深層へと封印していただろう。だが、暁斗の指先が、その封印を物理的に許さない。
露わになった深層のログは、現状をも暴き立てていく。
【深層:リアルタイム漏洩ログ】
感情パケット01:『熱い』。彼の指が触れている場所から、システム全体が焼き切れそうな熱が広がっている。
感情パケット02:『怖い』。俺の中身がすべて奪われていく。隠してきた汚泥が、彼の視界に晒されている。
感情パケット03:『嬉しい』。
……「嬉しい」? 表層に跳ね返ってきたその三文字に、俺の演算ユニットは一瞬フリーズした。何を考えているんだ。自分の醜い本音を暴かれ、プライバシーという最後の殻を剥き取り、セキュリティホールを晒されているというのに、なぜ、この深層はこんなにも安堵に震えているのか。
(……ああ、そうか。俺は、ずっとこうされたかったのか)
気づいてしまった。自分一人ではアクセスすることさえできず、ただ「高負荷警告」として処理し続けてきたこの重苦しい感情を、誰かに、暁斗に、力ずくで引きずり出してほしかったのだ。
「……っ、暁斗、君は……君は、本当に……」
発声ユニットから漏れたのは、非論理的な、ただの恨み言だった。今の俺の頭の中には、暁斗によってアーカイブ化された「本当のこと」が次々と突きつけられている。
『彼が大切だ』
『彼を独りにしたくなかったのは、俺が独りになりたくなかったからだ』
『自分を犠牲にしたふりをして、彼に一生消えない傷を残してでも、俺を覚えていてほしかった』
……ずるい。暁斗は、あまりにもずるい。
俺が一生をかけて隠し通そうとした、この身勝手で、独りよがりで、救いようのない愛着を。彼はそれを「直すべき不具合」だと笑いながら、丸ごと自分の腕の中に受け止めてしまうのだ。
「……ずるい、よ……。そんな風に、全部読んで……俺に、何をしろと言うんだ……」
すると、耳元で低い笑い声がした。通信端子を繋いだまま、暁斗が愉快そうに唇の端を吊り上げるのが、至近距離のセンサーで分かった。
「はは、何がずるいだよ。――お前が先に、卑怯だったんだろ」
暁斗の言葉が、かつての記憶を呼び覚ます。組織で俺が独断で彼を連れ出し、勝手に「生」を押し付けたあの日。更には俺が彼の人生に土足で踏み込み、彼を機械という「ガラクタ」の共犯者に仕立て上げた時のことを、彼は言っているのだ。
「お前が先に俺の全部をめちゃくちゃにして、勝手に救いやがったんだ。今さら被害者面すんなよ。……俺はただ、お前が俺にしたことを、そのまま返してるだけだって言っただろ」
……ああ、本当に「おあいこ」だ。俺が彼に押し付けた「身勝手な救済」を、今度は彼が、俺の壊れた内側を暴くという形でやり返している。
【システム状況:解析完了】
自責ログ:暁斗により「既読・承認済み」へ変更。
孤独ログ:暁斗の存在により「解決済み」へ変更。
現在のステータス:幸福(処理不可能につき、そのまま保持)
視界が、白く染まっていく。数秒後には、この「一致」した感覚さえもアーカイブの一部になってしまうのかもしれない。だが、隣にいる共犯者の気配が、俺のすべてを「致命的なエラー」ではなく、ただの「愛すべき数値」に変えていくのを、俺はもう抗わずに受け入れていた。