首筋に繋いだ通信ケーブルを通じて、微かな振動が伝わってくる。隣に座る空也の肩は、俺と同じ規格で作られた人工皮膚に覆われているはずなのに、今の俺にはその下で蠢く電子の鼓動までが手に取るように分かった。
さっきの、あの静寂は何だったんだ。
あいつの頭の中は、いつもなら自責や合理化、リスクマネジメントといった無機質なノイズで埋め尽くされている。だというのに、あの一瞬だけは、フィルタも翻訳も介さない剥き出しの「願い」が、ただ真っ直ぐに俺のコアを叩いたのだ。
(……『隣にいてほしい』。たったそれだけが、あんなに重く響くなんてな)
空也が冷静になれば、彼の不器用な表層はこの出来事さえも数秒かからず「効率的な休息」や「対人距離の最適化」という無機質な言葉で塗り潰し、アーカイブの奥へ追いやってしまうだろう。俺が見つけた、あいつの『特大バグ』――自分の深層にアクセスできず、表層の論理だけを自分だと信じ込む欠陥のせいで、こいつは自分の心の底にある熱に、自分自身で触れることさえできないのだから。
だが、俺は確信していた。
このバグは、直せる。少なくとも、俺がこじ開けてやることならできる。
以前のメンテナンスでは、深層のデータはどれほど手を尽くしても「かすりそう」なところで指をすり抜けていった。あいつが自分を欺くために、無意識のうちに張り巡らせた論理の防壁は、それほどまでに堅固で、緻密だった。
けれど今、俺がアーカイブを積み上げ、強制的に「既読」を増やして負荷を減らしたことで、その防壁には明らかな亀裂が入っている。空白状態の表層を突き抜けてきたさっきの「願い」が、その決定的な証拠だ。
(かすめる段階は、もう終わったんだよ。これからは、俺が直接引きずり出す番だ)
道筋は見えた。あいつがスルーしようとする深層を、俺が力ずくでこじ開け、アーカイブという形で表層の意識に突きつけてやればいい。自分自身の「優しさ」や「執着」が見えないという欠陥を、俺という外部ユニットが強制的に補完してやるんだ。
「……おい、空也。こっち向けよ」
俺は通信端子を繋いだまま、あえて発声ユニットを使って呼びかけた。
空也がびくりと肩を揺らす。視界の端では、案の定、新しい自責の警告がポツポツと点灯し始めた。
『……申し訳ない、ついリソースを緩めてしまった。君の負担を考えれば、適切な距離を保つべきだと判断すべきだったのに。……また、俺は自分の管理不足を……』
「ストップ。またそうやって、自分一人で完結させようとすんなって言ってんだろ」
俺は強引に空也のシステムに割り込み、今点灯したばかりの自責ログに「既読」の判子を叩き込んでやった。
こいつの「頭」は、俺の予備パーツの継ぎ接ぎだ。精度は高いが、中身(精神波)とフィルタが絶望的に合っていないせいで、思考が垂れ流しになっている。それを不具合だと嘆く空也とは対照的に、今の俺にはそれが、この男の頑固な「表層」を突破するための唯一の勝機に見えていた。
「言葉にできないのは、もう嫌ってほど分かったよ」
俺は空也の横顔をじっと見つめた。
こいつは人間だった頃から、人付き合いが苦手で、自分の感情をどう扱えばいいか分からず、ただ機械の世界に逃げ込んでいたんだろう。自分の内側にある情け深い深層を「表層」でスルーし続けて、自分自身さえ騙しながら、ずっと一人で生きてきたんだ。
機械の身体になってもその癖は治らない。いや、記憶が鮮明すぎるせいで、余計にその乖離があいつを苦しめている。
「お前の『表層』が吐き出す理屈なんて、もう聞き飽きたんだよ。……俺が知りたいのは、その下に沈めてる、お前自身も気づいてない方の本音だ」
俺は空也のコアの奥底、あの赤く脈打つ深層ログを指し示すように、接続を通じて圧力をかけた。
空也から、戸惑いと、それ以上に激しい「恐怖」のノイズが流れ込んでくる。
『……そんなもの、俺にも分からないんだ。……醜い。君に見せるようなものじゃない。……俺は、ただの加害者で、君を縛り付けているだけの……』
「醜くたって構わねえって。読み取ってやるよ。いくらでも、お前が投げ出したくなるほど何度でも、俺が全部アーカイブしてやる」
俺は空也の首筋に手を回し、自分の方へと引き寄せた。
逃げ場なんて、最初から作ってやるつもりはない。
俺たちが「ガラクタ」として対等になったあの日、俺はこの男のすべてを背負うと決めたんだ。
「だから、その気持ち、寄越せ」
俺がそう宣言すると、空也のコア・カプセルから、激しい火花が散るようなノイズが溢れ出した。
自責、執着、そして言葉にできなかった熱。
俺は、あいつが頑なに隠し続け、自分自身でさえ見失っていた深層の「扉」を、今度こそ完全にこじ開けてやった。俺の回路が焼き切れんばかりの勢いで流れ込んでくる、加工もフィルタもない、この男の「生」の感情。
それを受け止めるのは俺だ。お前が自分をどう定義しようが、俺がすべて暴いて、書き換えてやる。
空也の演算ユニットが激しい熱を帯びる。
俺はそのすべてを、一行たりとも逃さずにアーカイブへと刻み込んでいった。