空也の「中身」が、濁流のように俺の回路へ流れ込んでくる。
深層引きずり出されモード――そう呼ぶべき異常事態に陥った空也は、もはや自分を偽る防壁を一切持っていなかった。俺がアーカイブを一つ叩くたびに、連動してさらに古い、今まで決して開かれることのなかった領域の鍵が次々と弾け飛んでいく。
驚いたのは、この「表層」と「深層」の乖離が、それこそこいつが子供の頃からの、完全な「生まれつきの特大バグ」だったことだ。
【アーカイブ・ログ:学生時代】
表層:教室の騒音レベルが許容範囲を超えている。図書室、あるいは物理準備室への移動が合理的である。
深層:怖い。あの中に入れない。……どうして皆、あんなに楽しそうに笑えるんだ。俺には、彼らの言葉の裏にある「本当のこと」が一つも分からない。……俺は、どこか壊れているのかもしれない。
……不憫だと思った。
俺も大概不運な人生だが、こいつの孤独も相当だ。自分という人間が分からず、正解のない「人付き合い」から逃げるように機械の世界に没頭した。必死に掴んだ就職先が、あんなくそったれな組織の傘下企業でなければ、こいつはただの「少し風変わりな技術者」として、平穏な一生を終えていたはずなのだ。
だが、こいつは俺に出会ってしまった。俺を助けるために組織を裏切り、自分自身までガラクタに作り替えて、人生を完全に踏み外したんだ。俺という爆弾を抱え込んだせいで、こいつの真っ当な人生はあの日、音を立てて崩壊した。
俺は、組織の調整室で俺たちが初めて会った、あの日のログを掘り起こした。俺が「新しい修理屋かよ」と毒づいた、最悪の初対面の記録だ。
【組織時代:初対面・調整室ログ】
表層:プロジェクト「暁斗」の義躯の修理を指示された。不具合の詳細を聞く必要があるが、当該機の情緒不安定により作業効率が低下している。
深層:……違う。これは、機械の不具合じゃない。この目は、絶望している人間の目だ。……痛かっただろうに。こんな無残に身体を引き裂かれて、それでもまだ、この「人」は生きていようとしている。……怖い。俺の指が触れることで、この人の魂まで壊してしまわないか。
「…………っ」
俺の演算ユニットが、熱を帯びて激しくきしんだ。
あの日、淡々と「不具合の詳細を」と言い放った技術者の内側で、こんな震えるような「人間への敬意」が芽生えていたなんてな。
空也は、出会ったその瞬間から、俺を「サンプル」でも「ガラクタ」でもなく、一人の「人間」として認識していた。他の誰もが俺を「材料」や「バグ」と呼び、視線すら合わせようとしなかった中で、空也だけが真っ直ぐに俺の瞳を見つめ、苛立ちに隠された悲鳴を聞こうとしていたのは、やはり気のせいではなかった。表層の意識では必死に「効率的な修理」というラベルを貼り付けて自分を騙しながら、その実、深層では俺の痛みに共鳴して、泣きそうなほどに狼狽えていたんだ。
「お前、……最初から、そうだったのかよ。……こんなクソ重い深層を、自分の『表層』で無視し続けて……。よく今まで、壊れずに生きてこれたな」
俺の指摘に、空也のコア・カプセルから、逃げ場のない切実なノイズが溢れ出す。
『……自覚、したくなかった。俺は、技術者でなければならなかった。人として君を見てしまえば、この地獄のような組織で、俺は正気を保てない。……だから、見ない振りをしていた。……自分自身さえも、騙して……』
こいつは、俺を機械に変えた「加害者」かもしれない。だが、自分のバグと組織の理不尽に振り回されて、守りたかったはずの俺と同じ姿にならざるを得なかった、ただの「被害者」でもあるんじゃないか。
「……卑怯だったのは、お前だけじゃない。俺もだ」
俺は、さらに加速する演算速度をもって、空也のすべてを抱きしめるように接続を強めた。
「お前が俺を人間扱いしてくれたから、俺は今、こうしてガラクタの身体でも生きていられる。……お前が隠し続けてきたその『バグ』が、俺を救ったんだよ」
その時、空也の様子に異変が起きた。規則的だった発声ユニットの振動が乱れ、代わりに眼部ユニットの供給弁が限界まで開放された。
「……あ……、……っ」
空也の瞳から、人工涙液が溢れ出した。頬を伝い、俺たちの繋ぎ目である通信ケーブルを濡らしていく。それは、物心ついてからずっと感情を「深層」へと切り離し、一度も泣くことができなかったこの男が、生まれて初めて流した涙だった。
俺は、俺と同じ高さの視線で、泣きじゃくる空也を静かに抱き寄せた。
アーカイブが完了するたびに、空也のシステムから「高負荷警告」が消滅していく。かつて俺が彼の「身勝手な救済」によって生かされたように、今度は俺の「強引な既読化」が、空也の長すぎた孤独を解体していく。
「全部、寄越せ。お前の『最初』から『今』まで、俺が全部承認してやる。……不憫な人生も、俺を救ったバグも、全部だ」
俺たちは、もう後戻りできない。
互いの内側をすべて暴き、傷を共有し、同じ規格の身体で生きていく。
それは、世界で最も歪で、最も美しい「共犯」の完成だった。