アパートの狭いリビングに、二台分の冷却ファンが回る低い唸り音が重なり合っている。俺は、俺専用のメンテナンスキットの中から、一番細い通信ケーブルを取り出した。これを自分の首の後ろの端子と、空也の同じ場所にある端子に繋ぐ。
「……おい、変な力入れるなよ。同期が弾かれる」
「……分かっている。だが、意識的にリソースを開放するのは、存外に難しいものだな」
空也が発声ユニットを通じて、硬い声で応じる。こいつの身体は、俺の予備パーツの継ぎ接ぎだ。精度は高いが、中身(精神波)とフィルタのパラメータが絶望的に合っていない。おかげで、あいつが何を考えているのか、俺のコア・カプセルにはノイズという名の思考が常に流れ込んでくる状態だった。
「……よし、入るぞ」
俺は視覚ユニットをメンテナンス・モードに切り替えた。目の前の景色が消え、代わりに空也のコアカプセルの内部構造を模した仮想空間が広がる。そこは、ひどい有様だった。
「……何だよ、これ。嫌がらせか?」
視界が、真っ赤な警告で埋め尽くされている。やはり物理的なエラーはないが、すべて「高負荷警告」だ。演算ユニットの処理能力の八割以上が、特定の「ゴミデータ」の処理に割かれている。俺は、一番新しい日付のログから順に、その中身を叩き割るようにして開いていった。
『起動。暁斗の顔が見える。彼は笑っている。……なぜ、俺のような人間を助けた。俺は彼から人間としての死を奪い、自分と同じガラクタに作り替えた。……卑怯だ。死に逃げしようとした俺に、彼はまた残酷な生を与えた。……嬉しいと思ってしまった。そんな自分を、殺したい』
「……っ、この、馬鹿が」
俺は思考の中で毒づいた。一文字ずつに、泥のような自責がこびりついている。空也は、俺が自分を機械にしたことを「加害」として処理し続けているのだ。俺が清々した顔で笑ったことさえ、こいつの中では「暁斗にそんな顔をさせてしまった俺の罪」として、無限ループの演算に叩き込まれている。
次のログを開く。
『暁斗がメンテナンスをすると言う。俺の内側を見るのだと言う。……拒絶したい。俺の醜い自責を、彼に読ませるわけにはいかない。それは彼にとって、さらなる精神的負荷になる。……ああ、また新しい負荷を生成している。俺が消えればいい。そうすれば、彼は俺のログに煩わされることもなくなるのに』
「……消えればいい、じゃねえよ」
俺は通信回線を通じて、そのログの処理優先度を強引に最低ランクまで引き下げた。
空也の演算ユニットが、一瞬だけ軽くなるのを感じる。
だが、次から次へと新しい「ゴミ」が生成されていく。
俺がこいつを「直そう」とすればするほど、空也は「俺のせいで暁斗が苦労している」という新たな自責を生み出し、自分の首を絞めているのだ。
俺は、リストに並ぶ無数の赤色を、一つずつ「既読」に変えていく。
俺が既読をつけたデータは、一時的に「処理済み」としてアーカイブに送られる。そうすることで、空也の演算ユニットはようやく、まともな思考をするための空き領域を確保できるようになるのだ。
「……お前の『卑怯』も、『身勝手』も、全部俺が受け取った。……だから、このデータはもう、システムを重くする理由にはならねえんだよ」
俺は、最新のログ・ファイルの上から、自分の承認印を叩きつけるようにしてフラグを書き換えた。
空也のコア・カプセルから、不思議な、安堵と困惑が混ざったようなノイズが流れてくる。
『……暁斗。……君は、本当に……』
漏れ出してきたのは、震えるような感謝の断片だった。
だが、そのすぐ下で、また新しい警告が点灯する。
『暁斗に感謝している。そんな資格はないのに』
俺が三つ四つログを「既読」にするたびに、そのすぐ下に新しい自責のログが生成される。まさにいたちごっこだ。だが、俺は苛立ちの合間に、ある確信を得ていた。
(……いや、でも負ける気がしねえな)
俺とこいつの「頭」は、全く同じ規格のコア・カプセルだ。ハードウェアとしての性能に差はない。だが、今の空也は自ら積み上げた警告の山に押し潰され、処理能力の八割以上をドブに捨てている。対する俺の演算リソースは、ほぼ百%が、使い放題の状態だ。
こいつが新しい絶望を一行書くスピードよりも、俺がそれを読み飛ばして「済」のフラグを叩き込むスピードの方が圧倒的に速い。同じエンジンを積んでいても、これだけ負荷に差があれば、追い抜けないはずがなかった。変な処理で自爆して新たなログを積み上げるよりも先に、俺がその全てをアーカイブに放り込んでやる。
「……空也。お前がどんなに自分を呪う言葉を量産しても無駄だぞ。俺の処理スピードの方が、お前の自責より速いからな」
仮想空間から、現実の空也の聴覚ユニットへ声を送る。
「……ああ。……何処かを見られているのが、分かる。……やはり、効率的ではない。このログは、君にとって有害だ」
空也が弱々しく応じる。その直後、また新しい警告が点灯した。『暁斗にリソースを使わせている。俺はどこまで……』
「はい、それも既読。次」
俺はため息をつきながら、再び赤いリストに指をかけた。最新のログだけでこれだ。この下に沈んでいる、人間だった頃からの膨大な「高負荷エリア」に辿り着くには、一体どれほどの時間がかかるのか。
だが、逃がしてやるつもりはない。俺が施した「俺と同じ身体」は、この鮮明すぎる記憶の重さを、永遠に分かち合うためのものなんだから。この「厄介な天才」が、自分の重みで自爆する前に、俺がその中身を全部既読にしてやる。
「……今日は一ページ目だ。……寝かさないからな、空也」
俺は、際限なく溢れ出す空也の「本音」を、圧倒的な演算速度をもって、一つ残らず自身の回路へと受け止めていった。