どうやら俺は、よっぽどの地雷を踏んだらしかった。
「お前、とことん卑怯だぞ。……いいから黙って聞け。耳じゃなくて、その頭でだ」
俺の胸ぐらを掴んでいた暁斗の、いつもより幾分も低い声が響いた直後、脳内に直接、巨大なデータの塊が流し込まれた。それは単なる情報の転送ではなかった。同期プロトコルが強制確立され、暁斗がこれまでの地獄のような日々で蓄積してきた「記憶」と「感情」のログが、加工もフィルタもない生の状態で、俺のコア・カプセルを直撃したのだ。
(……っ、……あ、……!!)
視界がホワイトアウトする。いや、視覚ユニットが受け取る光情報など、押し寄せるデータの奔流に比べれば誤差に過ぎなかった。それは、暁斗という一人の人間が機械の身体に閉じ込められながら、その奥底で震わせていた「魂」の全質量だった。
暁斗の視覚ユニットを通して見た、俺という男。調整室の眩すぎるLEDの下、絶望でひび割れていた彼の前に、不器用に膝をついた俺の瞳。あの日、暁斗の瞳は、俺が自分に言い聞かせていたような「効率的にバグを探す修理屋」など捉えてはいなかった。そこにあったのは、自分の絶望を静かに、けれど確かに、逃げることなく受け止めようとする「一人の人間」だった。
データの奔流は、言葉よりも鋭く、そして容赦なく俺の回路を抉る。
慣れない共同生活の中で、寝食も忘れて端末を叩く俺の背中。その滑稽なほどの必死さを、暁斗がどれほど心細く、そしてどれほど切実な祈りを込めて見守っていたか。モニターの光に照らされた俺の後頭部を見つめながら、彼が何を思っていたのか。冷たい義躯の奥で、彼のコアが俺の存在を、この世界に踏み止まるための唯一の「錨」として必死に繋ぎ止めていた事実が、データの一つ一つから、焼けるような熱を持って流れ込んでくる。
『お前だけだった』
その確信が、逃げ場のない真実として俺の全回路に刻み込まれていく。
『殺したかった。でも殺せなかった』
その血を吐くような愛憎が、消去不能なログとして精神の深層を蹂躙する。暁斗が抱いていた、宇宙の果てに放り出されたような孤独。誰も彼を「人間」と扱わず、ただの材料やモルモットとして部品リストに並べた世界で、ただ一人「君」と呼んだ俺に向けられた、狂おしいほどの執着。それは、俺が自分を呪い、自責の殻に閉じこもるために守ってきた「加害者」という免罪符を、跡形もなく焼き払ってしまうほどの熱量だった。
俺の設計した「感情でバグらない」はずの堅牢なシステムが、暁斗から流し込まれた「生の感情」という名の暴力に悲鳴を上げていた。機械化された脳は、情報の優先度を勝手に引き上げ、処理を拒否することを許さない。皮肉なことに、処理落ちという逃げ道すら自分で塞いでしまっていた俺は、そのすべてを、ただの断片すら逃さず、鮮明に、正確に、そして永遠に、受け止め続けるしかなかった。
俺が死ぬことで彼を自由にしようとしたことさえ、彼にとっては自分を最後の「錨」から切り離し、虚無へと突き落とす最悪の裏切りでしかなかったのだと思い知らされる。損をする、俺なんかを選んだら一生、そんな卑屈な理屈は、彼の前では一滴の価値もない。彼は損得など求めていない。ただ、隣に同じ重さの「生」を求めていたのだ。
(……お手上げだ。俺が彼を選んだのではなく、彼に、選ばれてしまった……。この鮮明な記憶の重さを、一生疑うことすら許されないまま……)
もはや理屈で、あるいは俺程度のちっぽけな自責で、この人を遠ざけることは不可能だった。回路の奥深くまで暁斗の「真実」に侵食され、俺の中の境界線は溶けて消えた。
視界のノイズが収まり、焦点が合う。目の前で、暁斗が清々したような、それでいて最高に意地の悪い、晴れやかな笑みを浮かべている。
「ふんっ、思い知ったか!」
その勝ち誇った顔を、俺のカメラは鮮明に捉え、記憶領域の最優先階層に上書き不能な形式で保存した。これから始まる果てしない時間の中で、何度でも検索し、再生されることになる、最初の光景。
俺が彼にしたこと。彼が俺にしたこと。そのすべてを分かち合って、同じ高さの視線で生きていく。
「…………降参だ」
ようやく喉の発声ユニットが、震える声を形にした。それは敗北の宣言などではなく、逃げ場を失った自分への、そして彼への、最初の肯定だった。
「分かったなら良し」
暁斗のその言葉が、俺たちの「決着」だった。
くそったれな世界の片隅で、俺たちはようやく、どちらが救われ、どちらが救ったのかさえ判別できない、逃げ場のない対等な「ガラクタ」になった。