視界の端で、転送完了を示すシステムログが静かに消えた。アパートの狭いリビングには、二台分の冷却ファンが回る低い唸りだけが響いている。
目の前には、俺と全く同じ規格、同じサイズの「ガラクタ」が横たわっていた。俺が自分の予備パーツを継ぎ接ぎして作り上げた、糸蔵の新しい身体だった。
「……おい、起きろ。いつまで寝てんだよ」
俺の声が、自分の発声ユニットを通じて室内に反響する。
数秒の沈黙の後、糸蔵の頭部にあるレンズが微かな駆動音を立てて絞りを調整し、青白い光を宿した。
起動の瞬間だ。
「……あ……」
糸蔵の口から漏れたのは、言葉以前の、ただの空気の震えだった。だが、それと同時に、俺のコア・カプセルが異常な「ノイズ」を受信し始めた。
『……ああ。俺は、失敗したんだな』
糸蔵はまだ口を動かしていない。なのに、あいつの困惑が、剥き出しの思考データとして俺の回路に直接流れ込んできた。
「……起きたか、この馬鹿野郎」
もう一回、声を掛ける。糸蔵は上半身を起こそうとして、自分の身体の異様な「動き」に戦慄したような反応を見せた。そして、俺と同じ高さで目線が合ったことに首を傾げた。
『……暁斗? なんで、同じ高さに……』
人間だった頃、こいつは俺より頭一つ分ほど背が高かった。その僅かな身長差が、あいつの中では「守る側」と「守られる側」の境界線だったんだろう。だが今、俺たちの視線は寸分違わず、鏡合わせのように同じ高さで交差している。
俺が、あいつのプライドも境界線も全部ぶち壊して、俺と同じサイズに作り替えてやったからだ。
「……糸蔵。口があるだろ。何か言えよ」
糸蔵は困惑した顔のまま、何かを話そうとした。
けれど、それよりも鮮明に、彼の思考が割り込んでくる。
『……なんで。俺を、同じにしたんだ』
『加害者だぞ? お前をこんな身体にした張本人の一人なのに。そんな奴を、永遠に隣に置うつもりか? 本気で言ってるのか?』
「……っ!」
あまりの情報の奔流に、俺の処理系が火花を散らす。
こいつのノイズフィルタ、全く効いてねえ。
俺の予備パーツをそのまま使ったせいで、俺専用のフィルタリング設定があいつの精神波と合わず、蓋がガバガバの状態なんだ。
糸蔵の口から出る言葉は「……すまない」という掠れた一言だけ。だが、裏側で漏れ出している思考は、どろどろとした自責と、そして救いようのない「俺への執着」だった。
俺の視覚ユニットは、糸蔵が混乱し、自分を「失敗作」だと呪っている様を克明に捉えている。
人間だった頃、こいつは何も言わなかった。恐らく自分の感情も分からず、ただ一人で抱え込み、最後には睡眠薬を飲んで逃げようとした。
そんなこいつの「蓋」が、機械化された瞬間に完全に外れてしまったんだ。
『ずっと一緒にいられたら楽しいだろうなって……ほんのちょっとだけ……一滴くらいは、思っていたけれど。お前が俺を選ぶ理由なんて、どこにもない』
『お前、損をするぞ。俺なんかを選んだら、一生——』
「……ふざけんな、この馬鹿野郎!!」
俺は思わず糸蔵の胸ぐらを掴み、思い切り揺さぶっていた。
あいつは「なんで?」と言わんばかりの呆然とした顔をしているが、その裏では臆病で重すぎる本音を垂れ流し続けている。
本気で分かってねえのか。
お前が自分をどう思っていようが、俺がどれだけお前に救われたか。
言葉で説明しても、こいつの分厚い「建前」には届かないだろう。
「加害者」だの「損をする」だのという勝手な決めつけで、俺の感情まで上書きしようとしやがる。
「お前、とことん卑怯だぞ。……いいから黙って聞け。耳じゃなくて、その頭でだ」
俺は糸蔵のシステムに強引に割り込み、双方向の通信接続を強制確立した。
「言葉」なんて不確かなものに頼るのはもう終わりだ。
「思い知れ。お前が俺にとって何だったか」
俺は、自分の中に蓄積された膨大なログを、あいつの回路に直接叩き込んでやった。
組織の調整室で、絶望していた俺の前にあいつが膝をついた瞬間。
俺の怒りを「バグ」じゃなく「人間」として受け止めた、あいつの瞳。
処分される直前、あいつの指先が震えながら俺を支えた感触。
俺を連れ出した夜、あいつが隣で何度も「すまない」とうなされていた記憶。
あいつが自分を呪う「加害者」の顔の裏で、どれだけ必死に俺を救おうとしていたか。俺はそれを、言葉ではなく「データ」として知っている。
「加害者」だなんて一言で片付けさせない。
お前だけだった。このくそったれな世界の片隅で、俺の声を聴こうとしたのは。
「殺したかった。でも殺せなかった。……お前がいなきゃ、俺はもう、ただの鉄屑なんだよ!」
加工もフィルタもない、俺の生のままの感情が、糸蔵のコア・カプセルを直撃する。
あいつの思考の漏洩が、一瞬、止まった。
逃げ場はない。処理落ちして逃げることも許さない。
俺が施した「俺と同じ身体」は、この鮮明すぎる記憶の重さを、永遠に分かち合うためのものなんだから。
糸蔵のコアが、激しい処理負荷で熱を帯びるのを感じる。
今まで言葉足らずすぎた二人が、回路を繋いで、互いの執着をぶつけ合う。
これが、機械になった俺たちの、最初のまともな対話だった。