意識が戻ったのは、どれくらい時間が経ってからだったか。
 智樹(ともき)が薄く目を開けると、視界の全てが不自然なほどの緑と白に(おお)われていた。
「……ぁ……」
 痛みはない。あんなに深い傷だったのに。
 自分を(こご)えさせていたあの異常な寒さも、今は遠い。ただ、地面から不自然に浮かされている身体が、恐ろしく重かった。そして、何だか喉が(かわ)いている。
 智樹(ともき)(ふる)える右手で、傷のある腹部を(さわ)ろうとした。しかし、傷に辿(たど)り着く前に、何かに引っ掛かる。
 視線を下ろし、目に飛び込んできた異常に、絶叫が喉の奥で(こお)りついた。
 自分の左腕から首筋、そして胴体にかけて、螺旋状(らせんじょう)(つた)幾重(いくえ)にも巻き付いている。
 それは服の上からではない。皮膚(ひふ)を突き破り、血管の走行をなぞるように、緑色の根が皮膚(ひふ)の下を()っているのが()けて見えた。
 屍蔓(しかずら)に、取り()かれている。
「う、わぁああああああ!!」
 智樹(ともき)咄嗟(とっさ)に、左腕に絡みつく(つた)を右手で(つか)んで引き()がそうとした。
 その瞬間、身体の内側から、今まで経験したことのない「(しん)()き回されるような激痛」が走り、智樹(ともき)は更に悲痛な声を上げた。
 あまりに痛過ぎて、のたうち回ることすらできない。ただただ体を(ふる)わせ、悲鳴を(ほとばし)らせる。
 根が、肉の中に深く、深く、食い込んでいる。それは見て分かる。分からないのは、腕の(つた)を引っ張っているのにもかかわらず身体全体から痛みの信号が押し寄せたこと。
 自分の神経がこの(つた)(つな)がっている、だなんて想像も付かず、智樹(ともき)は混乱するしかなかった。
「……っ、げほっ、……はぁ、……っ」
 幸いにと言うべきか、左腕の(つた)を解放すると痛みは引いたが、今度は喉の違和感が気になってくる。喉が(かわ)いている。(かわ)いている。水が欲しい。水。水。
 叫び過ぎただけでは説明のつかない口渇(こうかつ)に、智樹(ともき)は逆らえなかった。頭の中は水を飲むことでいっぱいで、ふらふらと、水を求めて身体を起こす。
 この時、智樹(ともき)は数分間叫び続けていたのだが、息継(いきつ)ぎも息切れもしていなかった。そんな人外じみた自分に気付く精神的余裕などなく、ただ衝動(しょうどう)(おもむ)くまま水を求め、人間では感知できない水の(にお)いに()かれ、水辺まで導かれ。
 やっと目の前にした水辺にて、智樹(ともき)はついに我慢(がまん)ができなくなり——頭から、水に突っ込んだ。
 ただひたすらに、水を(むさぼ)る。がぶ飲みだなんて甘いものじゃない。ゴクゴクと喉を鳴らしながら水を取り込む智樹(ともき)の頭は完全に水面下にあって、息継(いきつ)ぎなしでは(おぼ)れてしまう——智樹(ともき)が普通の人間のままだったなら。でも彼は息苦しさを感じていない。
 智樹(ともき)の背後で、彼の背中から伸びた屍蔓(しかずら)が満足そうに斑入(ふい)りの葉を広げる。そう、この屍蔓(しかずら)が光合成を行い、智樹(ともき)に酸素を送り込んでいる。智樹(ともき)は水を飲むのに必死で、自分の異常には無自覚のままだ。
 そもそも智樹(ともき)がこんなに水に()えているのも、半分はこの(つた)のせいなのだが……。
 何はともあれ、ようやっと満足いくまで水を飲んだ智樹(ともき)は、水面に映る自分の姿に改めて打ちひしがれていた。
 ボロボロの装備を突き破って自分の肌から直接生えている斑入(ふい)りの屍蔓(しかずら)。特に腹部、左腕に密集しているのと、恐らくは背部にも生えている。智樹(ともき)は自分が右利きでまだ良かったと思った。そちらはまだ、そこまで侵食されていないように見えたから。
 恐る恐る、水面から視線を引き()がして腹部に向ける。背中から貫通する致命的な傷の半分ほどを外周側から緑のうねりが——屍蔓(しかずら)(つた)が埋め尽くしており、中心部も斑入(ふい)りの葉が(おお)って傷口の完全な露出を防いでいた。周囲の皮膚(ひふ)では、血管の走行をなぞるように緑の根が()けている。完全に根付かれている。智樹(ともき)は吐き気がした。
 どうしてこんな状態になっているのか分からないし、こんな状態でも自分の意識が残っている理由も分からないし、そうなるといつまで自分が自分でいられるのかも、分からない。怖さしかない。
 だって、屍蔓(しかずら)はこの森の恐怖の象徴(しょうちょう)なのだ。一度(おそ)われたら(むご)たらしい死が待っている相手なのだ。今は締め殺されていないけれど、この後、苗床(なえどこ)にされる未来もないとは言えないのである。
 ふるり、智樹(ともき)の身体が(ふる)える。いつの間にか陽もすっかり傾いて、夜の訪れを知らせていた。そろそろ()き火を起こすべきだろうと、智樹は習慣的に指先に意識を集中させた——初級の火魔法を使おうとした——が、いつもなら簡単に(とも)るはずの火が、どうしても形にならない。
「……疲れてるのか」
 深く考える余裕(よゆう)はなかった。不思議と寒さを感じないまま、智樹(ともき)はその場にうずくまった。そもそも雪も降る寒さのはずなのに、智樹(ともき)の身体が(ふる)えたのは恐怖のせいだ。寒さでは(ふる)えられる気がしない——寒さに本来感じるべき脅威(きょうい)を感じない。どうして。
 いよいよ頭を抱えたくなってきた智樹(ともき)の視界に、鈍い反射光が映り込んだ。
「……あ。ドローン……お前、まだ着いてきてたのか」
 今にも地面に落ちそうなボロボロの機械(ドローン)を、智樹(ともき)はそっと拾い上げる。操作画面は何かを映していたが、ひび割れが多過ぎて読み取れないし、操作もできない。
 それでもそのドローンは、限界近かった智樹(ともき)の精神を(なぐさ)めるには十分だった。今の自分にも追従してきたということは、こんな有様(ありさま)でもまだ深山(みやま)智樹(ともき)として認められているということだ。完全に精神が、魂が、魔力が変質してしまえば、このドローンはきっと付いてこなくなる。智樹(ともき)はそう信じた。
 壊れかけのドローンを抱きしめ、恐怖に(ふる)えるうちに眠りに落ちた少年を、彼から生える(つた)が更に包み込む。屍蔓(しかずら)揺籠(ゆりかご)は、この異界では最強の防壁だった。

癒蔓の子・第四話