次の朝、智樹はひどく体が重いと感じた。
寝不足というのも、ある。けれども、連日のパニックと絶望に、心が悲鳴を上げるのをやめてしまったかのようだった。脳が「これ以上恐れると壊れてしまう」と防衛本能を働かせた結果、訪れたのは深い霧のような思考の停止だった。
「……もう、いいや」
独り言をこぼしても、返ってくるのは静かな雪の降る音だけだ。
智樹はふらふらと立ち上がり、どこへ行くでもなく歩き出した。もはや自分の足で歩いているのか、蔦に動かされているのかも定かではない。ただ、重い身体を引きずり、木々の間を縫って歩いた。
どれほど歩いたか。木々が不自然に開けた場所に出た。
雲の間から冬の柔らかな陽光が差し込み、雪原を眩しく照らしている。智樹は導かれるように日当たりの良い岩の上に腰を下ろした。
何も考えたくなかった。
自分を殺そうとした先輩冒険者への恨みも、変わり果てた自分の身体への嫌悪も、明日への不安も。
智樹は膝を抱え、ただぼんやりと日差しを浴びていた。
その時だった。
自分の身体の一部であるはずの蔦が、ゆるゆると動き出した。
左腕や腹部、背中を覆う斑入りの葉が、まるで太陽を求めるかのように、大きく、薄く広がっていく。屍蔓による光合成が始まったのだ。
不意に、身体の内側から「何か」が溢れてきた。
(……あったかい……)
確かに日差しも温かったが、溢れてきたのはそれではない。身体の中を巡る血液が、陽の光を受けて歓喜しているような感覚。「気持ちいい」「満たされている」という、純粋で、原始的な生理的充足感。
それは智樹自身の感情ではなかった。宿主である智樹が思考を止めたことで、共生している屍蔓の感覚が、神経の接続を通じてダイレクトに流れ込んできたのだ。
不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、絶望で凍りついていた智樹の心にとって、その熱はあまりに優しかった。
「こいつも、何かを感じているのか」
初めて明確に、そう考えた。自分を苗床にするだけの怪物だと思っていた存在が、自分と同じように光を浴びて、心地よさを感じている。
どのくらい時間が経っただろうか。
陽が傾き始めた頃、智樹はふと我に返った。
あんなに恐ろしく、忌まわしかった蔦を生やしたまま、自分は穏やかに日向ぼっこをしていた。
「……こいつ、俺を殺す気はないのかもな」
そう呟いた時、智樹の中で、何かが変わった。「取り憑かれた」という恐怖から、「こいつがいるから生きている」という奇妙な受容への転換点だった。
陽が完全に落ちる前、再び狩りをした。
やはり重心は狂っており、屍蔓が強引に獲物を締め殺す結末は変わらない。
ウサギの死骸を前にした智樹の口から漏れたのは、「ごめん」という祈りだった。糧にしてごめんという智樹の思いに加え、何故か屍蔓の方からも深い悲しみや悔しさのような曖昧な何かが流れてくるのだから、仕方ない。
肉を食らい、水を飲む。
内側から流れてくる「あたたかい」「おなかいっぱい」という感覚。
智樹は前回気付かなかったそれらの感覚にビクッとしたが、前回のようなパニックにはならなかった。
いつの間にか、ドローンを抱きしめる手から力が抜けている。ドローンはふわりと智樹の腕から抜け出し、智樹の頭上ををぐるぐると旋回した。まだ完全に壊れたわけではなさそうだけれど、ひびだらけの画面では何も見えないし操作もできない。そのまま飛ぶに任せておくことにした。
智樹は、自分を包み込む蔦を眺め、心の中でそっと呼びかけてみた。
「……おい、お前」
「こいつ」から「お前」へ。呼び方が変わったことに自分でも気付かないまま、智樹は初めて深く穏やかな眠りについた。