手製本の地図
「なんちゃって無線綴じで一冊作ってみた」という尚樹さんの経験から、次に向かう先を俯瞰するための地図。手製本は思っていたよりずっと世界が広くて、無線綴じ・糸かがり・和綴じ・ルリユール・ZINE・ジャンクジャーナルと、並べて眺めると一本道ではなく枝分かれした地形をしている。どの枝に進むか決める前に、まず全体を見てみたい。
大きな4つのジャンル
手製本は、綴じ方の原理で大きく4つのジャンルに分かれる。
糊綴じ系(無線綴じ)
折り丁を重ねて背に糊をつけ、表紙でくるむ方式。針金も糸も使わないから「無線」と呼ばれる。文庫本や雑誌の量産でおなじみで、手製本の世界でも「まず一冊作ってみる」の入口として一番軽い。尚樹さんがやった「なんちゃって無線綴じ」はここ——背に糊を塗るだけで本の形になるという感動が、手製本への扉を開ける最初のキーになる。一次的な体験記録は 手製なんちゃって無線綴じ本 に、手法論・道具論の汎用化 wiki 版は 家で作る無線綴じ に、レイヤーを分けて記録されている。
短所は、開きにくさと経年劣化。糊が硬化してくると背割れしやすい。業務レベルでは PUR 糊など柔軟性の高い糊を使うが、家ではボンドの種類と薄塗りが工夫のしどころ。
糸綴じ系(西洋式)
折り丁を糸で縫い合わせて綴じる方式。無線綴じより一段強度が高く、開きやすく、寿命も長い。
- 糸かがり綴じ — 折り丁の背を糸で縫い、折り丁同士を繋いでいく。西洋式製本の基本骨格で、上製本(ハードカバー)の中身はたいていこれ
- ルリユール(工芸製本) — フランスの伝統的な手かがり製本。綴じるだけでなく、背固め・背紙貼り・表紙作成・革装・金箔押しまで含めて「一冊の本を作品として仕立てる」全工程。1980年に栃折久美子氏がヨーロッパから持ち帰り、池袋のルリユール工房を中心に日本でも根付いた
糸かがり綴じは「いい本を作りたい」の王道ルート。ルリユールはその極北で、工芸品としての完成度を目指す人の領域。家で完結する範囲の実践編は 家で作る糸かがり綴じ に。
和綴じ系
中国で生まれて平安時代に日本に渡り、独自に発展した綴じ方。表紙と本文を一緒に貫いて糸で縫うのが特徴で、西洋式のように背を固めないから、本の形は平らで柔らかい。
- 四つ目綴じ — 4つの穴に糸を通す基本形。和綴じといえばまずこれ
- 飾り綴じ — 四つ目を土台に穴を増やして、康熙綴じ(こうきとじ)・麻の葉綴じ・亀甲綴じなど、糸が模様を描く豪華版へ
家にある道具でも取り組みやすく、見た目の完成度が高く、失敗してもほどいてやり直せる——趣味で手製本を続ける人が最も長く居着く場所。詳しくは 家で作る和綴じ へ。
変則もの(中綴じ・ZINE・ジャンクジャーナル)
上の3つに綺麗に収まらない、自由度の高い系統。
- 中綴じ — 二つ折りにした紙の中心をホッチキスや糸で留める。数ページの小冊子向き。ZINE の定番
- 平綴じ — 背から数ミリ内側に針金や糸を通して綴じる。業務印刷で今も使われる
- ZINE(ジン) — 自主制作の小冊子。中綴じ・無線綴じ・ホッチキス・ジャバラ、なんでもあり。2010年代以降に日本でも広がり、大型書店でワークショップが開かれるように
- ジャンクジャーナル/スクラップブック — 古紙・包装紙・チケットなどを台紙に貼り込んで一冊にする。ゴムひも綴じやハトメ綴じが多く、「綴じる」より「束ねる」に近い。2008年のリーマンショック後、高価なスクラップブック素材の代わりに身近な紙を使う文化として欧米で広がった
この枝は「綴じ方」より「中身の自由度」で定義される世界。綴じの技法は何でもよくて、何を綴じるかのほうが主役になる。
難易度・道具・雰囲気の三軸で眺める
並べると地形が見えてくる。
| ジャンル | 難易度 | 必要な道具 | 雰囲気 |
|---|---|---|---|
| なんちゃって無線綴じ | ★☆☆☆☆ | 糊・紙・クリップ | 実用/実験 |
| 中綴じ | ★☆☆☆☆ | ホッチキス・紙 | 実用/ZINE |
| ジャンクジャーナル | ★★☆☆☆ | 紙類・ゴムひも・ハトメ等 | 趣味/コラージュ |
| 和綴じ(四つ目) | ★★☆☆☆ | 針・糸・目打ち・紙 | 趣味/和 |
| 和綴じ(飾り) | ★★★☆☆ | 同上(穴数が増えるだけ) | 趣味/意匠 |
| 糸かがり綴じ | ★★★☆☆ | 製本台・糸・針・糊・表紙芯 | 工芸/実用 |
| ルリユール | ★★★★★ | 専用道具一式・革・金箔 | 工芸/作品 |
難易度の軸は、道具の数というより「工程の分岐の多さ」で効いてくる。無線綴じや中綴じは工程がまっすぐ。和綴じは紙折りと穴あけと糸通しの3工程に綺麗に分かれる。糸かがり綴じは背固め・見返し貼り・表紙合わせが増えてくる。ルリユールは工程が20を超えることもあり、一冊に数ヶ月かけるのが普通。
雰囲気の軸は、作る動機でだいたい3つに分かれる。実用(早く安く冊子を形にしたい)・趣味(作る行為自体を楽しみたい)・工芸(作品として完成させたい)。ZINE は実用と趣味の境界、和綴じは趣味の真ん中、ルリユールは工芸の極地。無線綴じは実用側だが、「なんちゃって」には趣味の芽が混じっていて、そこから枝が伸びる。
尚樹さんの現在地と道のり
尚樹さんの現在地はなんちゃって無線綴じ。糊だけで一冊の形になる体験を通過した状態(2026年4月、2冊を8時間で完走 → 体験層 手製なんちゃって無線綴じ本/手法層 家で作る無線綴じ)。この地点から伸びる次の道は、大きく4本。
道その0:無線綴じ内のアップグレード
この地点に留まったまま深化する道。あじろ綴じ化(折丁を作って背に切り込み)・背紙貼り(寒冷紗による補強)・PVA派への切替など、無線綴じの弱点(背割れ・開きの狭さ・ページ剥落)を内側から改善する方向。「商業標準のEVA系ホットメルト家庭版」だったことに気づいた上で次の一歩を踏む。詳しくは 家で作る無線綴じ の「次の寄り道」で。
道その1:和綴じ四つ目(おすすめ度 ★★★)
家にある道具でできて、失敗が怖くなく、見た目の完成度が一気に上がる。和紙・針・糸・目打ちで始められる。飾り綴じに進めば意匠の遊びが広がる。→ 家で作る和綴じ
道その2:糸かがり綴じ(西洋式)
無線綴じの次の一歩として原理的に自然。折り丁を糸で縫うという基本動作を覚えると、西洋式製本全体への入口になる。無線綴じで使ったクランプ・ボンド・ミニアイロンがそのまま再登板するのも嬉しい点。家で完結する実践編は 家で作る糸かがり綴じ へ。そこから派生する 家で作るコプト綴じ(背のチェーンが可愛くて180度開く、糊を一切使わない最古の製本方法)と 家で作るロングステッチ(中世ドイツの帳簿に起源、柔らかい表紙に糸が縦に走る質実剛健の系譜)も独立ページに。『美篶堂とつくるはじめての手製本』『いちばんわかる手製本レッスン』あたりが定番の入門書。
道その3:ZINE/ジャンクジャーナル
技法より中身で遊ぶ道。綴じ方は既に知っている(無線綴じ・中綴じ)から、何を綴じるかの側へ軸足を移す遊び方。コラージュや日記との相性がよい。
最初の分岐で一番勧めやすいのは道その1。道具の追加コストが低く、見た目の達成感が高く、失敗しても糸をほどいてやり直せる。そして飾り綴じへの拡張が「次の楽しみ」として自然に繋がっていく。
日本の手製本コミュニティ
本格的に進むときに頼りになる場所。
- 美篶堂(御茶ノ水)— 製本屋が教える手製本の定番。書籍『美篶堂とつくるはじめての手製本』でも広く知られる
- 製本工房リーブル(水道橋)— 40年続く老舗工房。教室・特装本・修復まで
- 空想製本屋(小金井)— 全18回の基礎コースで紙の性質から本の構造までを体系的に学べる
- 本のアトリエEIKO(中尾エイコ氏)— フランス国際製本ビエンナーレ優勝の作家による教室
- ルリユール工房(池袋コミュニティカレッジ)— 栃折久美子氏が創設したルリユールの総本山。2024年から未経験者も受講可に
本で独学する場合、『美篶堂とつくるはじめての手製本』(河出書房新社)と『いちばんわかる手製本レッスン』(誠文堂新光社、製本工房リーブル代表監修)の二冊が日本語の入門書の両横綱。
地図の使い方
この地図は「次どこ行くか」の参考になればいいもので、順番に制覇しなくていい。和綴じで止まってもいいし、ZINE で遊び続けてもいいし、ルリユールに憧れて一足飛びに工房に通ってもいい。綴じ方は本の作り方の一部でしかなくて、もう一つの軸は「何を綴じるか」——そっちの軸が育っていけば、技法は自然とついてくる。
近接トピックとして 懐紙 は和紙の世界への入口として繋がっている。和綴じで和紙を扱い始めると、紙そのものの種類や産地にも興味が広がる、という流れは自然に起きる。
ソース
- 製本の種類と方法(紙ソムリエ・糸かがり綴じ他) — 業界視点での製本方式まとめ
- 製本にはどんな種類がある?(コミュニケーションサプリ) — 綴じ方の種類を網羅的に解説
- 糸で綴じる製本のやり方(bizocean) — 糸かがり綴じと和綴じの比較
- ルリユール(Wikipedia) — フランスの工芸製本の歴史と日本での受容
- フランスの伝統的な手かがり製本ルリユール(幻冬舎ルネッサンス) — ルリユールの工程と文化背景
- ルリユール工房 — 栃折久美子氏創設、日本のルリユールの総本山
- 美篶堂オンラインショップ — 書籍『美篶堂とつくるはじめての手製本』の販売元
- 製本工房リーブル — 水道橋の40年続く手製本工房
- 空想製本屋 — 小金井のアトリエ、18回基礎コース
- ZINE(ジン)とは?(羽車) — ZINE文化の広がりと事例
- ジャンクジャーナル作り方(ARC OASIS) — ゴムひも製本の手順解説
最終リンク確認: 2026-04-21(大手除外)